2006-01-01から1ヶ月間の記事一覧

もう大丈夫なのでは

人の手を借りなければ外に出ることができない人にとって、理解を得られるかどうかはまさに死活問題です。ステレオタイプな理解が今まで障害者の生活を脅かしていたという過去はあったでしょう。でも今は、福祉はしっかりと研究されて、正しい方法が確立され…

「完全無視」=「交渉不能」の見限り

去年の秋のことです。バス停に車いすの人がいて、バスが来、車いすを持ち上げなければならなくなった時に、他の乗客は立ち上がらなかったので私と運転手の二人で持ち上げることになったわけです。運転手もパワーのあるタイプとはお世辞にも言えない雰囲気で…

規制の結果

ただ、規制によりステレオタイプのイメージが根絶されてしまっては、彼ら自身が困ることもあるのではないかと思うのです。 先に挙げたように、現在の都市設計では知識あるいは情報として障害者のことを知る機会が全くありません。ポジティブなイメージを持つ…

私としては

私は外国へ行った時地元の人に「何考えてるのかわからない、気持悪い」と思われて無視されて避けられるよりは「おおジャポネ、自慢の歯をどこへやったんだ?」とからかわれる方が楽しいと思います。もちろんそうでない人もたくさんいますが。 そもそもステレ…

避けたが勝ち?

路上においても障害者に話し掛けることが禁忌となっている雰囲気を感じます。電車の車両の中に一人の障害者が乗り込んできた時の、あの車内の硬直した感じは何なのか。

もう盲人は三銃士になれない

現在の障害者に関する表現の規制は、単純に障害者への言及を禁止しているだけで、障害を持たない人間が障害者に何らかの形で言及することは内容が何であろうと全般的に「失礼」にあたるという奇妙なルールができてしまったと思います。ネガティブな表現も無…

一つの方法として

ステレオタイプという認識は、そういう理由の無い感情の緩衝材になってくれると思います。障害者に対してありきたりな誤解を植え付けるとしても、少なくとも「知らない、怖い、避けたい」というマイナス感情を払拭するならば、安い代償だと思うのは単純すぎ…

近づけない

本当に正直なところを言うと、子供の頃、特にダウン症などで見た目でそれとわかる人に対しては、まず「怖い」「理解できない」「硬直」という反応が最初にありました。これは私と障害者の距離がとても遠かったということを示していると思います。ただ怖くて…

近づこう

「ステレオタイプ化して見るな」というのは「もっと私をちゃんと見てくれ」ということだと言えます。でも、全く見たことの無い風貌をした他人に近づくのは、とても勇気がいります。

近づけば

こういうアニメを見ていると、ステレオタイプ的表現を規制することによって、障害者に関してはむしろ理解を遠ざけてしまったのではないかと思うことがあります。 誰だって自分のことを他人に正しく理解して欲しいと思います。私が日本人というだけで「眼鏡と…

"The Three Blind Mouseketeers"

短編「めくらのねずみの三銃士」も、ステレオタイプな盲のねずみを愛嬌たっぷりに描いていて、決して盲人を貶める意図があったようには見えず、むしろ盲そのものにスポットライトを浴びせています。陽気な映画です。

ステレオタイプ

さて、そのアニメの中でディズニーは特定の人たちをステレオタイプ化してコミカルに描いているわけですが、そのほとんどは、よく言われるような差別的な感情にまかせて描かれたものだとは見ていて感じません。ちびくろサンボの廃刊の時にも「ステレオタイプ…

時代と表現

ところで昔のディズニーの短編には軍人、囚人、盲人、黒人、土人、はたまたドナルドのアマゾンで現地民をつかまえてサーカスに売る話など、今ではとても公開できないような大胆な内容のものが結構たくさんあります。ディズニーは対戦中には国策映画もたくさ…

「くまのプーさん」

ディズニーの昔のアニメは大人の即物的な欲望に染められていないので(そのように配慮されて作られています)幼児にも見せたいと思えます。「くまのプーさん」にしても、60年代に作られた3部作と90年代以降に作られたものでは全く毛色が違います。新し…

女の子だからプリキュア見せたくない

大きいお兄さんお姉さん向けの視線を受けて子供向けのアニメが絶滅してしまい、自分の子供に見せたいと思えるアニメは古いものしかありません。特に女の子は、幼いうちからアニメのキャラのように可愛く鑑賞される存在として飾り立てなくてはならないという…

ディズニーの短編アニメ かつて盲人は三銃士だった

ディズニーの古い時代の短編アニメが好きで、よくヤフオク等で探して集めています。