文化のグローバライズ、言語と音律

今地球上に存在する言語の数は3万だとも言うし60万とも言われている。こんなにも曖昧なのは言語の定義からして定めようが無いからだ。言語を他の言語と区別するのは、言葉の構造や体系ではなくて、社会的・歴史的・地理的背景。例えばドイツ語とオランダ語の構造の差は、九州弁と東北弁の差よりもはるかに小さい。言語の数なんて、まさに数えようがない。
でも3万説者も60万説者も共通して言っていることがある。これからの五十年で言語の数は一か二桁減るだろうということ。アラスカで、沖縄で、ブラジル西部で、土着語話者の高齢化はガンガン進んでいる。言語もグローバライズされている。
生物種の数が一つ減ることのデメリットは、未知のワクチンを抽出する機会が無くなることだとはっきりしているけれど、言語のそれはわかりにくい。もちろん語学好きの文系人間に聞けば怒濤の勢いで答えが返ってくるだろうけれど、答えは一つじゃないだろう。
ところで音律もグローバル化が言語以上に進んでいる。こっちは言語よりさらに目立たない。今ポップスで使われている音律は全て平均率だ。平均率は、その名の通り1オクターブ12個の音の一個あたりの差(周波数)が同じで、平均化された音階。簡単に転調できるけれど、二音間の周波数比が無理数となるので、オクターブ以外の音とはハーモニーにならないという最悪な欠点がある。
一方自然界で最も自然で美しい「天使の旋律」と言われるのがピタゴラス律。6:8:9:12の長さの弦を張った音階で、ハープなどに使われる。
その他にも、ゴスペルは準正調音階、バロック中全音律モーツァルトやベートーベンはべルクマイスター、キルンベルガーなど伝統があるものの、実際素人が演奏をやろうとなるとピアノやコンピューターの調律である平均律になってしまう。「生演奏は違う」の正体ここにあり。ベルクマイスターなんか、ドレミファソラシドと聞くだけで「あああ!ベートーベン!!」って思うもんね。女子十二楽坊の音があんなに薄っぺらいのも、中国の音律をちゃんと使っていないから。
モーツァルトの死因は音楽史上の謎だけれど、「自分の曲が平均律で演奏されたのを聞き、あまりのハーモニーの汚さにショックを受けて死んだ」なんて説があるらしい。それくらい、平均率は感動を与えにくい音律なのだ。
もちろん転調とコンピューターが大得意な平均率がなければ、ポップスはここまで発展しなかったのだけれど。
言語は他言語で代用できないけれど、音律は平均率で代用できるところが恐ろしい。平均率以外の音律は、伝統を守る義務を持つ者だけが演奏するものになりつつある。
ちなみに私が今まで聞いた中で一番平均率からかけ離れ、耳慣れないと思ったのはギリシャのブズキという楽器を使った伝統音楽の音律です。最初は違和感から体の力が抜けていくような感覚になりましたが、今では大好きで、古代ギリシャに思いを馳せながら聞いています。そういえばサティも古代ギリシャへのオマージュをいくつか捧げていますね。いつかこの音律でサティの「グノシェンヌ」を打ち込んでみよう。