失恋譚

koikeakira2004-11-06

16歳のころからの恋人、Nはここ7年間毎日夢に出てきていた。そのほとんどが、幸せな夢だ。私の理想の化身としてNが出てきて、おだやかな愛で私を包んでくれる。夢の中でNとセックスすることもある。目が覚めると、また自分がNの夢を見ていたことで、情けなくなったり、くやしくなったり、呆然としたりする。

Nとは切れたり切れなかったりで、一時は同棲し、二人の間で何度も誓いを立てたりしながら、今はもう私と関わるつもりがないようで、遠く離れている。また、私ももうNと関わる人生から脱却したいと考えている。もっと自分本来好きなタイプの男性を探したいし、Nのために捨ててきたものを持ち直したい。そう思うようになってから、Nの夢を見なくなった。

Nとの思い出は困ったことに、記憶の中で素晴らしく美化されている。別れ際、普通のつまらない男みたいに、ケチで我侭で自分勝手で無関心でずぼらで、醜悪な姿を私の前に晒したNなのに、私はNを嫌いになれない。どんな姿を見せられても、それが昔のきらめくような思い出を帳消しにすることはできない。今はもう無い新宿のクラブで、私のシャツを着て、細くきれいなお腹を見せつけながらDJをするNの姿。言い寄ってくる女性陣の前で私とキスをするN。あの時は完璧な王子様だった。

Nが私の心と体に刻み付けたものは計り知れなかった。未練なんていう生易しいものじゃない。Nを忘れようと、Nではない男性の子供を産んでも、Nの夢は毎日見続けた。そこで私は、Nを諦めることを諦めた。青春の絶頂を一緒に過ごした人を、忘れることなどできるわけないだろう。中年になって、老年になっても、覚えているだろう。人生を振り返るその時に、Nが隣にいないことを寂しく思うのは絶対に嫌だ。

ディエゴを追ったフリーダ・カーロ、鉄幹を追った与謝野晶子ロダンを追ったカミーユ・クローデル牧野邦夫を追った千穂らの生き方に勇気づけられて、Nの後を追うべきだと思った。結婚しなくてもいいので子供だけくださいと言うと、Nは了承した後で、打ち消した。

今、現実のさまざまな出来事が私のNへの執着を取り払っていく。次第にNの無知ばかりが思い出される。このままNを忘れるべきか、追うべきか、わからない。

子供を育てていると人生の新たな側面が次々と現れて、私を苦しめたり楽しませたりしてくれる。何も知らずにNだけを通して世界を見ていた自分が、馬鹿馬鹿しくもあり、みじめでもあり、微笑ましくも、うらやましくもある。そしてNのことを自分の中で消化できるような気がやっとしてきた。

ここしばらくNの夢を見なかったのが、今日、ひさしぶりに出てきた。Nが自分の家に来るので、うきうきしながら、食事やベッドやプレゼントを準備する。Nが来る。話をしながら食事をしてシャワーを終えたところで終わった夢。もう沢山。

今ふと思ったけれど、私はNの思い出と夢と、戦い続けるのかもしれない。それは一番辛そうだけれど、そういうものだと受け入れることができるかもしれない。

ダイアリにNのことを書くのは初めて。記念に近影を。