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koikeakira2012-01-11

(ひょっとするとツイッターから流れてきてくれた読者さんがいらっしゃるかもしれません。その方達のために書いておくと、このブログは、私が文芸が好きだった頃から書いている趣味のブログです。現在私の活動とは趣を全く異にします)

最近、自分のやっていることで、寄付を募っています。原発避難民の子供たちのための個人的なボランティアだったんですが、支援してほしい人がたくさんおり、また、支援したい人からの申し出もたくさん頂いたので、活動の幅を広げるため、思い切って寄付を集めてみました。

最初は本当にドキドキでした。見ず知らずの方にお金を出して、というのは浅草にいるホームレスみたいなものですからね。そういえば浅草で煙草が欲しいから10円ちょうだい、と話しかけてきたホームレスのおじちゃんに100円あげたら、おいおい泣いて喜んでくれたのを思い出します。今は私がそのおじちゃんというわけです。冗談抜きに、知らない人に寄付をお願いするするというのは、本当に胆力が要ります。浅草のおじちゃんも努力をしていたんだということに気がついたわけです。

また、お金の取り扱いも大変です。お金というのは、様々なカルマを背負って、様々な気を運んでくるものです。善意の寄付がほとんどではあるのですが、中には原発メーカーで仕事をしていた方から、贖罪のための寄付なんていうのもお受けしました。これはね、もう、お祓いですよ。私がシャーマンとしてこのお金を浄化せねばならないのです。これは大変な仕事です。これの扱いを間違えてしまったら、大変なことになる気がしています。もちろん、決して間違えない覚悟ではありますが。

そのお金は早く正しく使ってしまいたいです。次の活動に備えて手元にプールしておくことにも抵抗を感じます。私は装置としてこのお金を摩耗なしで変換しストレートに出力しなければなりません。さもなくば私は呪殺される。くらいに考えています。

寄付をもらうための労力以上に、もらった後の労力も結構なもので、お礼状、報告、等々でしばらく休日というものはありません。正直、寄付というものは頂かない方が、私自身は楽でいられます。でも自分が楽をしたいわけではないので、そこはほどほどにがんばりたいと思います。


そんなこんなで頑張っているうちに、スケールの大きい善意に巡り合い、活動に関しては資金の不安はほとんど無くなりました。(私自身の生活は相変わらず不安だらけですが)ですので、広く一般の方々に寄付を募ることをやめようかとも、一瞬頭をよぎりました。たった一人にお礼と報告をしていればいいのですから、私自身はとても楽です。でもそれは何か違う気がしています。

私は、たくさんの方々からの入力(お金)を受けて、変換して出力したいと思うのです。私は再分配する係にすぎないのですが、偉そうな言い方をすれば、たくさんの人に善意を発揮する機会を提供したい、と思うのです。本当に何様だという言い分ですけれども。そしてそれは本当にお祓いのような仕事であるのです。

昔からシャーマンに憧れているとともに強いシンパシーを抱えていました。いよいよ念願の職業に就いたわけです。どうするどうなる私。
まあ、今まで通り、直感を頼りに、生きていきます。