人形の種類

1、触覚、非実用(土偶)/原始的な土偶や、バルラハなど一部の現代彫刻。外面と内面が一致しており、内面の象徴としての外面が、フォルムに湧きおこったように彫られたもの。
2、触覚、実用(ダッチワイフ)/強烈なオナニズムから、球体関節人形もここに含む。人形の外面に内面の描写は見られない。あったとしてもごく記号的なもの。
3、視覚、非実用(観賞用)/ビスクドール、日本人形。顔への執拗な細工。後述。
4、視覚、実用(マネキン)/記号に徹底し、アニミズムの入る余地がほとんど無い。


1、このグループの人形は見ていて「引き込まれる」ではなく、「圧倒される」プラスのパワーを持っているものが多い。人形史だけを見ると、古代人の方が現代人よりはるかに豊かな感性を持っていたという言説を簡単に信じることができるだろう。ちなみに私の大好きなバルラハは、北の野原で生まれ育った人で質素な生活を好んでいた。
脱線。ぬいぐるみもこのグループに分けられそうだけれど、以下の格言を胸に深追いしないことにする。このアリストテレスばりの無知の知レヴィ=ストロースの不人気を呼んでいるのが悲しい。サルトルを軽く論破したくらいの人なのに、レヴィ=ストロースの方法を襲踏する者はほとんどいない・・・

「構造は偶然に見つかるといったものではなく、知覚されるというよりも概念として把握されるような潜在的関係の体系であり、分析によって引き出される過程で次第に築かれていくものだから、分析はそれを発見したつもりでも実はそれを捏造していたということになりかねない。」  レヴィ=ストロース

2、関節球体人形を観賞対象として考える人からすれば、かなり異論のある分類だろうとは思う。でも、関節球体人形を本当に舐め尽くすまで見た人は納得してくれるのではないかと一人合点している。
3、一番やっかいなのがこれ。まずこの人形の特性を、受け入れることができるかできないかの差があると思う。まず衣装ありき、流行ありき。人形の個体差はその後に観賞されるという特性。この人形と女性の社会的状況よく似ていて、人によってはいろいろなことを想起させられます。装飾に視線を奪われ、自分の内面は他人には永遠に認識されないのではないかという孤独への恐怖や、記号的な存在を演じた者が評価されるという事実を突きつけられての無力感、醜形恐怖など。加えて、記号であることを受け入れているその瞳の奥に、悲しみや絶望を見いだしてしまう。だから私はこれらの人形が怖くて仕方がない。記号と化した身体という牢獄に閉じ込められた魂の存在。誰だって自分を自分のものにしたい。
4マネキン史は特筆すべき事項は無くてわかりやすい。同系統で扱いが難しいのが人体模型だ。17世紀頃つくられた「女性が女性に教えるための」人体模型が、オークションで男性によって落札されたという話がある。ちょっとマニアックすぎて私の守備範囲を超えている。誰か守備できる人いたらこのテーマをキャッチしてください。いそうにない(笑)。

ああ、今日は少ない知恵を振り絞りました。脳味噌にはもうカスしか残っていません。明日からはもうちょっと肩の凝らないのを書いてみようかしら。今これを読んでくださっている皆様、いかがですか?軽いのと重いのとどちらがお好きですか?皆様のレスが欲しくてこのブログを書いてるんですよこの野郎。人助けと思ってレスください。