バブルと開高健

koikeakira2004-12-15

釣師の開祖と崇め奉られ、またベトナムの平和に貢献し、世界中の辺境を旅した開高健
私にとって、開高健が象徴するものは、バブルです。
今日においては夢の跡すら失ってしまった兵どもが、はるかなる故郷のように懐かしむ、狂乱の80年代。
当時、使い方を知らないのにお金を手にしてしまったオジサン達に、開高健はその使い方を教え、スタイルを提供し、今あるオヤジ文化をつくりあげた者の代表的な一人だ。
数年前まで競馬やマージャンや飲み歩きなど、短絡的な消費が趣味だった者が、金を持ったというだけでいきなり交響楽団パトロン制度に参加するだとか、スノッブな文化に辿り着けはしない。しかし休日の過ごし方から身の程が知れてしまう。
スノビズムを受け入れる素地の無い人々に親和性が高く、通人めかした開高健のスタイルにオジサン達が大挙して飛びついたのは当然の流れだと思う。
開高健の書く物語は、消費の物語だ。イヌイットの村で、アマゾン川中流で、中国郊外の歓楽街で、彼はいかなるものを消費したかを書く。彼は自然すら消費していた。彼は旅で出会う人々や、生活様式や、空気に身を任せるのではなく、彼らを常に観賞し、舌に乗せ味わっていた。それが彼なりの誠実さだったのかもしれないが、私にはいかがわしく思えてならない。

開高健が創ったものはフロンティア精神というより、消費の美学だ。
バーバラ・クルーガーが言った“われ買う、故にわれあり”の、なんとも解り易い喩えのような存在だ。
氏はバブルの終焉とともに1989年に逝去された。