発動の条件

koikeakira2005-01-06

ちょっとおたく寄りの漫画やアニメの中で、感情が爆発したことで最強の技が発動する、っていうシーンはよく見かけます。何かが敵に破壊されたり殺されたりして、キャラが絶叫して「ゴゴゴゴゴ」、ギャラリーが「なんだあれは」とくる。そしてそこへ解説役が出てきたり。
一つのお約束ですが、7、8年前おたく叩きが盛んだった頃にこの感情爆発→力の発現が、泣いてダダをこねれば親がどうにかしてくれるという子供の発想だという話を聞きました。
その時はそれで納得したものですが、親がどうにかしてくれるという事実は子供には必要なもので、そうあっさりと言い捨てては勿体無いと今では思います。
それどころか、厳正な制裁者を欲する心というのは、人間の普遍的な感情ではないでしょうか。信仰心を支えているものの大部分はこれだと思います。
よくワイドショーなんかで「許されないことだ」という言い回しを聞きますが、この「許す人」が誰かというと、被害者でもコメンテイターでも裁判所でもないもっと絶対的な規範となる誰かがいるといった口ぶりです。
日本では人生を終えると閻魔大王に天国行きか地獄行きかを決められますし、イスラムでも個人の行動を事細かに記録する装置が存在していて、やはり死後にはそれを元に判決が下される審判の日があります。キリスト教でも罰に直結する罪があり、絶対的な善悪の基準が人類以前に誕生していて有無を言わせません。神なる裁判官という存在は世界中あちこちの宗教に見られるようです。
子供にとって、この神を親に代行してもらって世界に秩序を見出すのは、心の安定を育むとても大事なことです。自分で直接裁くという暴力に走らないように。それは自他を滅ぼすまでヒートアップしてしまいますから。また、大人だって、悪人がパワーのもと「公正に」罰せられる裁判が大好きです。
私は民事と刑事計3回法廷を経験していますが、(いえいえ、前科が無いのが自慢ですよ、へへへ)裁判を起こすのってものすごく面倒なので、理性ではなく感情を機動力にしなければ、しんどくてやる気にまでなりません。
基本的には、人は理性ではなく感情で動くものだと思います。私は理性だけで動くことがほとんどできなくて、何かをするのは「負けたくない」とか「こうなるのはイヤだから」とか功名心とか、掃いて捨てるほどありふれた感情で切羽詰まるからです。
だから私は理性によって何かを成し遂げた人のことは大いに尊敬するのですが、一万回も同じ実験を繰り返したキュリー夫人などを「実験が彼女のオナニーだったんだな」などと俗悪な詮索をしがちでもあります。
とにかく、この感情の爆発というのは大きなパワーとつながるわけですが、ファンタジーの世界では自分の力を超えて神を呼び出す行為とつながっている。あるいは、神を呼び出す条件であったりする。キレることで霊媒になるんですね。
このキレる→大きな力という図式を特に男性よりも女性作家が好んで書く傾向があることも、気になります。