華文字の死想

という日本の男色の歴史がテーマの古い本を買った。1600円。「こんな変な本、買うのって私くらいだろうなという奇妙な優越感を抱かせてくれる本。装丁や字体など、雰囲気が良し。喜んでカモになりましょう。さて内容は。なんだかちょっと右翼っぽい・・・あ・・・やだこれ・・・。こういう買い方は失敗ばかりするってわかってるのに、どうしてまた買ってしまうのだろう。本をファッションで。しかも身に付けられないのに。

同じノリで去年買った斎藤環は本当にガックリきた。学べることが何ひとつ書いてない、と言った方の負けなんだろう。この本を知ったことからして私の負けだ。何に?ああ、別に勝たなくたっていいよもう・・・鬼海の写真集「ペルソナ」も知り合いがたくさん映っているからといって、一万円弱も出して買うことなかったな。ちょっと外に出て、生で見るほうが、よっぽど狂気が伝わってくるのに。「悪の華」とか「ポトマック」の豪華版なんて、図書館に行けばいいじゃんかよう。私の馬鹿。情報は所有しないで共有するという情報社会の最高にいいところを享受せずに、雰囲気に流されて散財して。ああ、でも、いいよねえ。この皮の装丁がさあ。金箔のアラベスクが、あああ。
エッシャーミュシャ、ボッス、ベクシンスキー、フリーダ、北斎、その他の画集、一年以上開いていないものがどれだけあるか。こうやってたまに思い出してやるくらいしか利用価値が無い。
ああ、所有欲ってほんっとにくだらない。解放されたい。