精神医学に衰退を望む

十七世紀に精神病が発明されてから、「不適合」の烙印を押された少数派の人間は、「保護」の名のもと社会から隔離された。人格の画一化の始まりである。
それ以前では、西においても東においても狂人たちが、社会的役割を負い果たしていたという。
例えば、西欧では悪魔と契約を交し神罰を受けたものの見本であり、狂人は民衆への戒めのために自治体から必要とされた。狂人をわざと広場に放しておいて、皆で食べ物を分け与えたりした。
日本においても、退屈しのぎの面白い見物として、また神秘的な存在として狂人が求められてきた歴史がある。人々は物見代を彼等に払い、時に崇めた。
「狂人」たちは「私」より一歩死に近い。
狂人たちの本質は霊媒だ。
「病」とか「症」とかって言うのを、やめないかっていうことなのだ。
もう、飽きたんだ、そういうケチな切り口に。
みんなも、そろそろ飽きてるんでしょう?
もはや精神医学の有効性は、その弊害を見て反面教師とできた者にのみあるのではないか?
不条理でさえ、いや、不条理こそ世界の多様性だと捉えていきたい。
そしてもっと世界の多様性に魅了されいていたいし、多様な自分像を想像できていたい。
今後の自分の自由と楽しみのためにも。