断食の精神

koikeakira2004-07-09

私は断食が趣味の一つです。
というと悪い印象があるかもしれない。
体系はごく標準だと思う。
精神を病んでなどいない。いや、心は病んでいるけれど、本物の精神病者とは全く違う。

初めての断食は15歳の時。
一日一杯だけ牛乳を飲み、それ以外は水分も何も取らない。それを一週間。15kg痩せた。あまりの変容ぶりに、親でさえすれ違いざま私を認められなかった。
よく言われるような体への悪い影響も出なかった。
その時は年頃の女の子らしく「ダイエット」という捉え方で始めたのだけれど、断食をしてみてから、その精神世界に魅了されるようになりました。

ついこのあいだも、一日に蜜柑一房(一個ではない)の断食をした。(この蜜柑一房は、食べるという行為について思慮を深めるためにある)あまりに断食が楽しいので二週間も続けてしまい、頭が朦朧として、生命の危険を感じてからやっとやめた。体重の方は体が慣れてしまって、3kg減っただけだった。

断食が辛いのは、最初の数時間だけだ。
それは脳内の無意識を変革させる作業である。
「食物を摂取する」ということを、例えば「麻雀をやる」ということと同程度の重要さしか無い行為で、趣味あるいは習慣だと捉え直すのです。
やってもやらなくても良いことで、やったとしても何か得るもののある行為では無いと。
断食の決意をしてから、最初に誰かが食事をしているのを目の前にしたら、「自分は今食べても良いし、食べなくても良い」。
そして「いつでも食べられるし、とりあえず食べない」と選択してみます。
そして一、二食抜いたら次は、「食物を摂取する」ということを無意味な、あるいは愚劣な行為だと捉え直します。
「ああ。なんでみんなあんなに食べるんだろう。卑しいなあ」と密かに心の底で思うことができたら、もう断食生活への門はくぐったといえます。
ここまではあくまでドライにやることがコツです。自分の精神力を過信するのです。精神はどこまでもついてきてくれます。

そうして4、5日経ってみると、食べるという行為から解放された自分が真に自由であると感じられるようになります。
物理的に食べないでも良いという自由と、中枢を壊さないようにか多量に分泌されるドーパミンがもたらす「悟り」の一種が訪れます。
こうなると楽しくて、そろそろ何か食べなくちゃな、と思っても、「あともう一日だけ」「あと一日」と、続けたくなってしまうのです。

何のために断食をするのか、を曖昧にしてしまうと、この方法は上手くいきません。
あるいは、そこまでやる必要があるのか、などと考えてはいけないのです。
ただただ無意味に無目的に「断食」だけをやってみるのです。

この方法で禁煙もできるし、精神力を鍛えるには最も簡単でお金のかからないやり方なので、ぜひ皆にやって欲しいと思う。わざわざ滝に打たれたり、座禅を組むことは無い。