聖母の断面図

「万子珍子」とくりかえす露悪的なコラムがありました。
女性の性器を貶めることで、男性の性器も一緒に貶めようとするやり方はakagumi以前からあったけれど、品が無いだけでフェミニズム的貢献度は怪しい。女性の性器に足りないのは神話だと私は思う。男性の性器にはいかなる現実も拒否する徹底した神話が作られているのに対し、女性器の神話性は性教育の普及のせいでか、むしろ下がってきているんじゃなかろうか。半年ほど前の「月刊ペンギンクラブ」の欄外読者コメントに、「僕達が性器の断面図に興奮できるのは日本の性教育の賜物だ」というのがあり、印象深かった。子供を産むことができるただひとつの場所だのに、信仰が薄らいだのは何故だろう。母を神のように語ることは戦後の歌謡や映画などで頻繁になされているけれど、今は全く見られない。最近はむしろ映画よりアニメに神なる母が登場する。しかしどれもエヴァンゲリオン以降耳タコのエディプス・コンプレックスという題材の記号に近いもので、その母の容姿は必ず美しい。
つまり母性や母の精神のや労働の美しさが描かれなくなってきている。
そのかわりか、乳幼児が母に殺される痛烈な事件が毎日のように報道される。
そんなふうに、今の母たちは社会からいじめられていると思う。
美しくなくちゃいけないし、肉体の苦行と精神の苦行(出産、育児と家事)をこなし、それを義務としてちゃんと果たしているのかどうか周囲から監視されているし、良しとされても社会から尊敬もされない。ただ一つ残された女の武器である美しさは夫のためにしか使っちゃいけない。私は夫がいないから良いが、これで尊敬できない夫がいるなんていう地獄は絵にも描けない恐ろしさですよ。