helloween

koikeakira2004-10-30

今年も怪物たちの来訪を歓迎しよう。
私のように個人でお菓子を用意して子供を待つ人は近隣で他にいないらしい。ここは日本なので当然といえばそうだけれど、私は幸運にもアメリカ人に囲まれて育ったので、仮装の楽しさを知っていたうえに、大人のhelloweenも楽しいものだとわかってしまったのだ。
見栄をはらなければお菓子なんてそんなに高くつかないし、子供たちの可愛い仮装とワイワイ喜んでくれる姿を見るだけで本当に嬉しくなる。
それに、玄関のチャイムが鳴った時のドキドキ。お礼を言う子のいじらしさ、様々な催促や不平、トイレを借りる妖精と手を繋ぐ、なりきって仕草も完璧なドラキュラ、子供間のパワーバランスをちょっといじろうとしてみたらタメ口をきかれたり。
一番大事なのは、社会の財産として子供を育てる喜びが味わえることだ。日本にはそういった制度や風習、習慣がとことん欠落している。あるいは忘れてしまった。

昔の恋人であるNが、あてもなく酩酊状態でイギリス放浪をしていた頃のエピソード。
1。地下鉄の電車内、小さな男の子が自分の座っていた席を老人に譲った。すると車内のあちこちからその男の子に向けて拍手と注目が送られた。男の子は照れて嬉しそうにしている。もちろん、乗客は皆他人同士だ。
2。大英博物館その他資料館の入場料、入り口前に賽銭箱のようなものが置いてあり、そこに任意の金額を入れる仕組みになっている。大人たちは各自の金額を入れていくし、子供も自分のおこづかいから出せるだけ出す。ずるをして入れていかない者は大人も子供もいなかったとか。
社会の財産を育む意志の、すばらしく高いことにNは感動したという。これと比べたら、今の日本はどうだろう。

社会の財産というものの輪郭を明瞭にしてくれる簡単なもので、日本に無いものがひとつあると言われる。それは戦争、あるいは革命だとよく耳にする。でも本当にそうなのか?どのように効果するのか、私にはずっとわからなかった。
しかし先のイラク戦争の報道で具体的になっていた。
それはもぬけの殻となった国府や公共機関を略奪にかかった暴徒たちの後日談だ。
「いままで取られた分を取りかえそうと思って、官邸や美術館から家具や調度品を盗んでしまったけれど、やっぱり盗みは教えに反することだから、返すことにしたんだ」そう言って、こと美術品に関してはほとんどすべての品物が元の場所に戻ったらしい。
彼等は、それがフセインのものではなく、自分たちのものだということに気付いたのだ。

じゃあ、戦争の無い国は公共意識やモラルが低下して、自己利益の追求に走り、少子化し、滅びるということ?
いや、そんなに単純じゃない。マクロ経済に関わっていない人間ほど戦争が必要悪だとほざく。必要としているという状態を肯定なんかしちゃいけない。肯定するところから始める、というのはなんだか違う気がする。
日本には模範/規律としての宗教は無いし、仏教支配が長い間続いたのに今は見る影もないあたりから、性質としてこれから先も宗教を持たないだろうと思う。さらに戦争を始めるような主体性も持っていない(アメリカの日本州だわ。独立国だなんて幻想。)ということは、この少子化はきっと戦争に代わるものなのだろう。日本では社会のひずみを個人で受け止めることはすごく難しい。少子化がどれだけ恐ろしいものなのか、予想ばかりが頻繁にされる。いずれ形がはっきりする。1.29の現状に来てなお、国から保護者に送られる育児手当が減額傾向にあるあたり、少子化問題の根深さが伺い知れる。