戦士の安定

私は弱らない人に憧れる。常に安定した自己を他人に供給できる人。そういった人たちはきっと皆独特の方法を持っているのだろうと思う。そんな方法は簡単には教えてくれないし、教わったところで実践はできないのだろう。
一番手っ取り早い安定方法はおそらく、敵を作ることだ。とりあえず好き嫌いにまかせて敵を決めれば、自分の立場はそれと反対側に限定されてきて、やるべきことも決まってくる。
絡まりあう自己の、精神、肉体、主張の三つにおいて、一番御しやすいのは主張だし、見栄えがするのも主張だ。
ニーチェと名前を出すだけで言いたい事はわかってもらえると思うけれど、ニーチェの精神は崩壊したし、肉体は梅毒に犯されてボロボロだった。そして群畜という一貫した敵を攻撃していたけれど、ニーチェが群畜を必要としているという矛盾は人生最大の欠陥だった。それでもニーチェは圧倒的な存在感を持って史上に横たわる。
あと、今日読んだ内田春菊も同じタイプだ。同じ町内に住んでいるけど書く。古くさい父権制度とその信者達を敵にまわすことで、安定した作風の漫画を書き続ける力を得ている。体験を憎しみに換算する装置を自分の中に持っていて、その装置の過敏な反応が鼻につく。彼女は父権信者の過干渉を必要としている。それでも作品には惹き付けるものがある。
平和が戦争を必要とするように、安定は矛盾の上にあぐらをかくのだろうか。
とはいえ、「群畜」も「古くさい父権信者」も、もはや普遍的と言えなくもない存在なので、その意味では安定は確かだけれど。
私はできれば敵を一つに決めないで、世界中に均等に分散させて(もちろん自分にも向けて)矛盾や支柱の無い確固たる安定にこじつけたいのだけれど、それはちょっとムシが良すぎるね。