アンチのイメージ

私は今まで一冊もSF小説を読んだことがありませんでした。初めて読んだSF小説が「星を継ぐもの」だった人間のレビューと思ってください。
まず親を呪った。なんでこんなに面白いものを、なぜちゃんと子供に読ませてくれなかったのか。小さい頃に読んでおきたかった。涙が出るほど悔しい。とはいえ、「moo」や「newton」は好きだったのに、SF小説に手を出さなかったのはやはり私自身がSF小説を意識的に避けてきたからだった。
原理は対称的だけれど、SF小説とプロレスは構造が似ていると思う。
共通点としてまず両者とも、つくりものを見せている。そしてそこに「八百長でしょ」「無理でしょ」とツッコミを入れないで、一緒に熱くなってつくりものを楽しむことを承諾した観衆がいる。また特権的にルールをやぶるアイテムが点在する。ものごとの原理にこだわるわりには「バリア」「ビーム兵器」などは全く無説明のまま挿入的に登場させる。「パイプ椅子」がなぜ反則じゃないのかわからない。たくさんのルールと例外ルールがあるわりには、やっていることは無節操だ。
また、嘘をつき続けてまで観衆を楽しませたいと思う気持ちと、嘘を飲み込んでまで楽しみたいという観衆の気持ちが私にはわからない。そしてその観客達がしばしばつくりものの世界のこと現実に持ち込むのには辟易していた。
虚構よりもさらに捉え難い現実だけが運命を象徴させるし、意味を持つことができるのではないのか。一部のSFファンやプロレスファンが虚構を根拠に意味を語りたがる傾向があるのが、行き過ぎた自己確認に思えて生理的な嫌悪感を抑えられない。さらにエンターテインする側とされる側の馴れ合いが透けて見えたこともあり、この二者に良いイメージは無かった。