レビュー

koikeakira2005-01-22

レビューを書こうとしてもなかなか上手くいかず、自意識と折り合いがつかなかったので、いままで人目に晒すのを避けてきました。
レビューを書くのは難しい。ある人と同じ作品を見たということは、その人と同じ場所に居合わせたということだと思う。よほどマニアックな作品でない限り、意志より偶然に関与するところが大きい。そしてその人たちを一番に意識して文章を書くことになる。
レビューではない文章で読者を限定する時は、ほとんどが趣味趣向に元づいて限定する。同じものに惹かれていて、そこを向いている文章というのは筆が軽い。空気のような前提の事実を省略して書くことができるから。
しかしレビューの場合、近似した方向性を持たない偶然の読者まで視野に入れなきゃいけない。やはりマニアックな作品のレビューでない限り。
まるで興味の方向性が違う人とは、ほとんど使っている言語からして違うと言っていい。共有している空気というものがない。それゆえ自分の書いた文章が否定される可能性が高くなるし、言葉のみによるコミュニケーション自体を諦めた方がいい相手も少なくない。(私としては、サーファーとメンヘラと学会員とのコミュニケーションはまず諦めます。多分向こうさんも諦めると思うけれど・・・)
というわけでレビューを書く時には怯みがちだ。そしてよく見るイヤなパターンが二つある。
一つは「その場に居合わせた」という事実やその状況に依存した書き方。赤の他人に連帯感を求められるのは気持ち悪い。文章を書いている主体を、「自分」から「みんな」にすり替えたところで作品に対しては斬り込めない。また、「みんなのために書いている」といういらぬ使命を背負いがちな場合もよく見かける。
もう一つは、自分の皮膚感覚や体験に依存した書き方。「鳥肌が立って」「つい昔のことを思い出してしまって」「なぜかその時背筋がぞっとして」これはなぜそうなったかを追求して考えられない人の逃げ道としてありがち。私が読みたいと思うのはその「なぜ」の部分なのだ。
しかしそれらを避けて自分の空気を作って隙をつくらないように書くと、レビューが一つの独立した作品のようになってしまい、「その場」から離れ過ぎて孤立してしまい、レビューとしては機能しづらくなる。このバランスが難しい。さらにこのバランス感覚を保って書いたレビューが面白いかというとそうとは限らず、面白いレビューはだいたい型破りなものだったりする。
また、「見た人の全体的な反応」として星の数を人数で割って消費されるレビューを、私は書こうと思わない。私は書くのが遅いし、そのわりには目立ちたがり屋なので、そんなものを書く労力は惜しいと思ってしまう。
・・・まあ、つべこべ言わずに一つ書いてみました。前置きの方が長いダメな奴です。ただジェームズ・P・ホーガンの「星を継ぐもの」を読んで書きたくなりました。でも「星を継ぐものを読んだことない人、スイマセン」とかは絶対に言いません。←つべこべ五月蝿い。