町山ブログ

近頃気になるのは町山ブログの動向です。イラク戦争反対というテーマの後には世界平和という普遍的な話題へと上手く切り替えていくかと思われましたが、熱狂的な信者による論客リンチという見せ物の方がスタンスとしては強く残ったのだと、ここ数日のエントリで証明されています。http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20050621中でもid:info-lab6という方がリンチにされたわけですが、この方は町山氏に対してメッセージを持っていたし、私も共感するところがありました。つまりinfo-lab6氏は町山氏とプロレスを演じにきたわけじゃなかった。
『「現在の政局を扱った映画でもない作品に、無理矢理貴様の政治理念なんて押し付けんじゃねえ』
没になったという草稿を読むと、確かに少し違和感がある。聞いてもいないことを「喋りたい」という自分の都合で語り出すというミス。文章において記者対読者の関係を不安定にしてしまう。個人の主張がアクとなり他の仕事にも滲むのを押えられていないということが町山氏の落ち度だとinfo-lab6氏は言いたかったのだと思います。
また私見では日本の文化では虚構を現実と全く切り離した「箱庭」として箱の枠から鑑賞して楽しむ方法が一般的であり、アメリカの映画のように政治的なパロディを満載した=現実とつながった作品にあまり親しみも無ければ、鑑賞の対象としにくいという傾向すらあります。もっと言えば芸術と政治は全くつながっていません。東洋において世界とは物質世界のことではなく精神世界のことなのです。そして鑑賞の目は「箱庭」に向けられます。批評においても同じことが言えるという現状があると思います。
ブッシュが町山氏が言ったの言わないのソースはどこだのというやりとりでは、海千山千の町山氏が圧倒的に有利であり、観客達による投石も凄まじいものがあり、負けるわけがありません。観客たちも絶対に負けない町山氏を期待している。
そしてなにより、町山氏によるinfo-lab6氏への攻撃は、なりぞこないの黒人ラップのようでリアリティが無く、無駄に下品なだけです。自分の品性の無さを見せつけることでinfo-lab6氏に嫌悪感を与えて追い払っただけで、とてもディベートで勝利したというふうには見えません。
討論において「負けない」という(身内だけが望んでいる)小さな目的のために、外から寄せられた拾うべきメッセージを潰していけば、私のような中距離にいる読者は失われていきます。
集団の縮小化とともにその目的も矮小化されるのだったら、集団を拡散させて、読者とは遠くからたまに声をかけあうという関係にした方が後々よほど有益だと思われます。
ギュッと身辺に集まっていた仲間と一度別れるという孤独に挑めるリーダーにだけ有終の美と、「次」がある。