山口もえは富の象徴

女性は呆楽の供給という、子供の代行者としての役割を求められるようになりました。
痴的な女性を天然と呼んでもてはやされ始めたら、人工の天然が一気に増えた時は笑いましたよね。以降人工の天然は増加傾向にあって、女性タレントは白痴を演じるようになり、「天然」という言葉は「癒し系」に変更されて、可愛いとされる女性の類型に呆楽は欠かせない要素になっています。女性が労働者ではなく、装飾的な生活者でもなく、子供の代行者という合理性においてマイナスの存在でい続けるための環境を保持するのには、男性の方に相当な経済的負担を要求します。山口もえを好きだと言う男性たちがその事にどれほど自覚的なのかはわかりません。私の目には山口もえは富の象徴のように映ります。