もはやFFの村人すら疲れてしまった現代ですか

一番気になった点は、町や集落の人々の描写です。FFの町で会話する人々といえば、皆が呑気で、ほがらかで、ぽわわんとした平和的な性格で、和める台詞を言ってくれる愛すべき市井というイメージでした。
が、今回のFF12では社会的敗者・弱者が嫌というほど克明に描かれています。これはいままでのFFと決定的に違うと感じる点です。

ダウンタウンに追いやられた敗戦国の民のぼやき、難民の諦め、戦争や暴力に鞭打たれた人々の絶望、競争社会から脱落した敗者たち、もの言わぬ路上の零落者ら。世界全体がお疲れ気味です。

「俺のパパは大企業の社長なんだぞ!」
「元社長だろ。そんな人いっぱいいるよ」
特にこの会話には個人的事情が重なってグサッときました(笑)

FFの町のイメージ

かつてFFをFCやSFCでプレイしていた頃のことを思い出してみてください。あの頃ののどかで柔らかな町のイメージ、どこの町へ行っても人々は自分の行き方や居場所に満足しており、希望と安らぎを見出すことのできた温かい雰囲気。あれは、現実の再現であると当時の私は感じていたものでした。幸せな時代でした。

(だからこそ、FF4のミシディアに足を踏み入れて全村人にシカトされた時のショックといったら!12にも外部の人間を嫌うヴィエラが住む「エルトの里」がありますが、ここの住人にどれだけ拒絶されても相対的に「ああそうか」としか思えません。)

リアリズム

しかし、今ではFF12の殺伐とした住人の態度にリアリズムを感じてしまう自分がいます。そしてリアルであることを良質であるとは感じずに、FFに何か裏切られたような、寂しい気持ちもしています。

リアリズムとは読んで字のごとくですが、創作においてこれを追求することは必ずしも善ではありません。リアリズムの焦点が人の負の部分に向いた時、創作者の加減によってはグロテスクな人間の悪意のスプラッタにもなります。(最近は特に青年漫画誌でこの傾向が非常に高まっていると思います。正直な気持ちとして青年漫画誌は怖くてキモイです)

リベラリズム

製作者の手が無意識的にやったほどの半端さで世相を反映させるくらいなら、FFには伝統だった温かい町の雰囲気を断固として取り戻して欲しいと願います。悪意へのリアリズム表現が好まれる時代においてこそ、ね。もはやゲームは教育者としての責任すら負っているのだし。
平和な時代には他者への優しい視点として、また殺伐とした時代にはアンチテーゼとして、平和で安らいだ人々の暮らしのイメージを表現し続けてくれるとしたら、FFの存在自体が凄い社会貢献だと思います。