エテロニム[異名]

koikeakira2004-11-10

 ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアは作品を発表するさい、エテロニムと呼ばれる偽名を使った。エテロニムには性別、年齢、住んでいる家や両親の職業、時には足のサイズまで、こと細かな設定がなされ彼のノートに残っている。ペソアはエテロニムで作品を書くことを通し、様々な人物の人生を体験した。その人数は70を超える。
 私も今までいくつかのエテロニムを操ってきた。現実でもネットでも。ネットではハンドルネームと言うべきか。発言の自由を守るためのものや、発言をより効果的にするための実用のもの、また、願望の発露であるエテロニムもある。どれもが私の役に立ってきてくれた。
エテロニムは、世界に存在しようとする自分の意志が、ただ一つの個体ではないということを知覚化してくれる。エテロニムによって、肉体ではない、流動的でパラレルな器官が自分の中にあることを確かめることができる。

責任という言葉

バブルが終わり企業が守りの時代に入り、吝嗇の制度化が徹底されたうえ、盗聴法案が功を奏したかマスコミの画一化は目に見えるようになった。向かうところは革命が起きない世界だ。左翼やリベラリズムすらシステムに組み込まれている。
多少の批判や憶測、思うところを述べれば、中傷や名誉毀損や営業妨害などと言われて「処理」対象にされてしまう。そしてさらに少し攻撃的になってみるとまず浴びせられる言葉がある。後ろ楯がある者の傲慢さの裏返しであるあの台詞、「自分の言葉には責任を取れ」。今の社会は人を肉体の単位に収めようとする社会だ。
自分の言葉に責任を持つということがそんなに大事なことなのだろうか。責任を持つ意志があろうとなかろうと、発言はその人の環境を作っていく。取り返しのつかないことをすれば人生に取り返しがつかなくなるし、リセットしようとする意志があるならそれをむやみに邪魔するのは人道にもとる。
だいたい、権力があればあるほど自分の細かな言動に責任を持たなくて済むので、もみ消せる範囲の気軽な悪事を繰り返しやすいし、自分が覆されない自信から上記の台詞を好んで使うようになるのだ。

画像

本日の画像は友人Mの作品「まさしく、貴方」非常に気持ち悪い写真だ。こういうブラックユーモア大好き。額は60もあるらしい。
そういえば「ブラックワイドショー」という最高に面白い深夜番組があったな。あれがいきなりなくなったのは(ここから先を書くと、気が付いたら異国かもしれん)

芸者ふたたび

芸者というのは、辞めることはできないらしい。というのも、店を辞めた後でも店に人手が足りなくなった時、また出てきてくれと女将が電話をくれるからだ。普通の仕事より高給ですぐ玉代をもらえるし、チップも期待できるからなあ、とついつい出ていくことになるという。店を辞めてから二週間の間に四日も働いているとは笑える。まあ、たまになら苦にならないのでいい。

こどもの寝言

私の娘はまだ言葉を話せませんが、赤ちゃんの時から寝言が激しいです。今聞こえたのは
「くえういぱ。あにゃもろすいなー。はいじだったむういうい。くすくすくす(笑い声)」
これがものすごく流暢なんです。前世の記憶?

嘘ペンの方へレス

昔の記事にまでレスしてくれて有難うございます。スナックやキャバクラならまだしも、料亭でSみたいな小物を拾う芸者は上に行きません。芸者的に言わせて頂けば、不得手なのはSのほうです。