幸せな自殺者
数時間前、窪塚洋介が飛び下りたとの報が入ってまいりました。
私は自殺する奴が大嫌いだ。
自殺にはその性質においておそらく種類がいくつかあると思われるけれど、それはあえて無視します。
自殺するのには体力および情熱が必要だ。
悲劇の主人公として死ぬ人は、まだまだ絶望を知らない。
まだまだ、ぜんぜん、しあわせだ。
ほんとうにいきづまった時は、自殺する力も湧いてこないものだ。
そもそも、人生が生きるに値しないということが、イコール死ぬ理由にはならない。
(何らかの幸せを他人に保証してほしい人間が死ぬのだ)
それに、死ぬことによって、家族や職場の同僚や、死体を見つける人、片付ける人に負荷を与えることができるのは、まだまだ自分に自信がある証拠だ。十分高慢だ。
残された人のためにビニール袋を被って死ぬ奴なんかいないじゃないか。
自殺を考えている奴は、もうちょっと謙虚になりなさい。
自分が、悲劇の蜜の味を味わっていることを知るといい。
今回の窪塚には生まれたばかりの子供がいた。その子の前で人生を否定するなど、親として許されることでは無いだろう。
真似する馬鹿が出てこないことを祈る。
きのう書いたこの文章を、新しい情報が入ったからといって変種する気にもならない。