セクシャリティのプログラミング

koikeakira2004-08-03


以下、「萌え萌えジャパン」より

背景に物語を持たないオリジナルキャラクタードールと、特定作品の版権キャラクターものの等身大フィギュアでは、楽しみかたが違うという。前者の場合、オーナーはドールとの間に自分だけの物語を想像し、感情移入もより深くなることが多いそうだ。ファンタスティックの等身大ドールを製造するオリエント工業、児玉延之氏によるとその事情は必ずしも偶然ではなく、つくり手もある程度意識していると語る。

「世界にスキをつくっておいたほうがいいんです。ひとつの方法としては年齢、名前、イメージボイス、血液型まできっちりつくって提案するというやり方もある。しかしヘビーなユーザーになればなるほど、設定はゆるやかなほうが喜ばれますね。たとえば名前でもあえて漢字にはしない。“ありす”なら“ありす”で、どんな漢字をあてるのか、それともカタカナ表記なのか、ユーザーさんが決められるようにつくる。さらにへビーなユーザーの方だとゼロから名前をつけ直してしまうわけです。そういう自由度の高い遊び方ができるのがオリジナルの魅力だと考えています。もちろん入門的なユーザーさんの場合は、たとえば“血液型はO型”というように、ある程度設定があったほうがイメージを膨らませやすいかもしれない。ただ、それでもやはり決め込むよりは決め過ぎないほうがいいと配慮しています」』

納得の行く話だ。
で、こちらを書かれた記者さん曰く「萌えの定義」は「特定のキャラクターに関する不十分な情報を個人的に補う行為」だと言う。これも「萌え」という言葉が猛烈な勢いで拡大し濫用されているので、その使われ方や内容が変化しているという点に目をつぶれば大いに納得できる。
情報の不足感という魅力を合理的システムにしたのがエヴァンゲリオンであり、あの作為が鼻につくのは萌える自分の主体性をシステムに組み込まれたことで否定されたところにあるだろう。
作為にしろ無作為にしろ、「萌え」には情報の不足が必要だということだ。
しかし、凹をイメージさせるためには凵が必要なのだと思っていたけれど、オリジナルキャラクタードールを愛する人は、全くのゼロから萌えの発生機構を創り出すことができるとは!

おそらく、長年ストックした自分の萌え属性を見続けて、データ化し、出力する作業がそこにはあるのだと思われる。セクシャリティのプログラミングだ。
ところでセクシャリティとは猶予うものだと私は思う。新たな刺激を受けては領域が開発されていくもの。
性はきっと、すべからく生に向かうものでもなければ死に向かうものでもない。それにしても。
停止した、セクシャリティの鋳型・・・。

面白いのは、そうしてつくられたオーダーメイドの人形を手に入れた人が、一体だけで満足はせずに次々と新しい人形を「お迎え」する傾向にあるということだ。

南米に住む日本人のサイエンティストが、長年連れ添った妻の遺体をほぼ完璧に保存して、夫婦のベッドに6年間寝かせておいたが、ついに逮捕されたという記事を思い出す。
私はそんなふうに愛されたい。

等身大人形は究極と思っていたジャンルであったが。永遠、絶対、唯一といった完全なるものへの可能性をまた一つ踏みつぶされたような思いだ。

ニーチェデカルトなどは、『不完全である人間がなぜ「永遠」や「普遍」などの概念を知っているのか。この世に生を受ける前の魂の記憶だ』と完全なるものの存在を信じ続けた。

生きている間だけでいい。私の想い人にとって完全な性的存在でありたい。わがままだろうか。