>バーバラ

「敵」は他に語彙がありませんでした。青いよね。ボキャブラ地獄だわ。ほっといて。頼むから。
「敵」をつくることの作為について。
なんとなく、劇の本質に関わることだと思いました。遠藤周作が言うには、喜劇や悲劇を西洋人は創ることができるけれど、僕に劇は存在しません、と。
私にも劇は存在しないようで、やはり自分の作為が鼻につきます。
以下はバーバラはわかりきっていることだと思うけど、自分で確認するために書きます。
劇が存在しない理由は単純に人種が入り乱れる世界で育っていないからだと思います。常に誰が敵で誰が味方か、表明し続けることが身を守る手段ですらあるという状況を経験したことがない。
たとえばスラム街に間違えて入ってしまって、ネオナチのコワイお兄ちゃんたちにナイフつきつけられて「オマエ、ヒットラーをどう思う?」と聞かれ「ヒットラーは不滅だ」と心にも無いことを返せば許してもらえる、みたいな話をよく聞くじゃないですか。また極端な例だけど。
日本の作品には政治性が無い云々という話は以前しましたね。「ヒットラー不滅」みたいなことを作品でもやっている。そんな人々に作為なんぞ気にする余白は無いのではなかろうか。
だからアメリカの現代芸術は力強いし歴史的背景を知らないと理解できないからかっこよく見える。作品成立背景のサバイバル状況も含めて、日本の芸術は「個」に固執していて「甘い」なんて言うのは簡単で誰にでもできる。

でも言い換えれば、日本人の創作は政治に煩わされてないので、じっくりと人間の内側を見つめ続けることができるのです。
それ以前に、日本人にとって「世界」とは精神世界のことであり、物質世界のことではないのだと思う。
その日本がGNCという指標でトップになっていることもあるし、この状況は喜ぶべきで、作為の罪悪感も払拭すべきではなく、追求すべきものでしょう。
GNCについて↓
http://www.google.co.jp/search?q=cache:Ws435EmpZfcJ:www.kuis.ac.jp/icci/member/wada/ronko/021005_t.pdf+gnc+cool&hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8&inlang=ja
バーバラの場合は、これからドイツを拠点にするのか日本を拠点にするのかという選択があるので事はますます複雑になっていると思います。
>Sinhさん
満月の日にですか、神秘的ですね。満月が体に与える影響とか、感じられましたでしょうか?
私は一日だけの断食ができないのです。食べる脳と食べない脳を入れ替えるような作業が一番辛くて、一日に二回もできません。それが終わればあとは普通にしているだけですから努力も何もいらない、という感じです。
>嘘ペン
何やら興奮していたようですね。キノコは素人が手出しちゃだめですよ。