白髭橋病院

koikeakira2004-12-21

昨日のニュースにネタを提供し大いにマスコミに貢献した白髭橋病院ですが、私の実家から徒歩5分の所にあります。私の母方の祖父が腸炎で入院したのもこちらでした。祖父のことを思い出しました。
祖父は戦時中、タキシードを着て銀座を歩いていたというモボで、料亭の一人っ子として生まれて幼稚園から大学まで出たおぼっちゃんでしたが、その両親の経営していた料亭を二年で全て遊興費に変えたふざけた野郎です。でもいつもお洒落で誰にも怒らない人でした。
祖母と商店を起こし子供達と一緒に細々と暮らしていたところを特攻隊員として召集され、フィリピン沖へと向かいました。
祖父の操縦する飛行機は目標の戦艦と正反対の方向へ進み、海面に不時着すると、祖父は近くのアメリカ軍キャンプへ行きにこやかな笑顔で白旗を振りながら「ハロー」と言ったそうです。
捕虜としてキャンプで暮らした祖父は、毎日のようにステーキを食べ、たっぷり太って日本に帰ってきたという逸話があります。
そんな祖父ですが、腸の手術を受けた後、痛みで暴れるという理由で入院中手足を縛られてしまいました。私の母などは毎日のように紐を解きに行きましたが、縛られてからあっという間に痴呆が進んでしまい、会話ができない状態で五年間縛られ続けた末に他界しました。
ヘアセットを欠かさないお洒落な祖父が、醜くやつれていくのは幼心に恐怖でしかありませんでした。10人以上いる孫の中でなぜか私だけを特別可愛がってくれたのに、あまりお見舞いに行かなかったことが悔やまれてなりません。