鬱とよばれるもの

koikeakira2005-01-13

十六才の時、真実など何所にもないということを知った絶望で一人で暮らしていたワンルームに引きこもった。(家の事情でその部屋を与えられていた)
癒しようのない深い疲れだけが体を支配して、体中を膜のように覆い、私と空気を隔てた。それは本当にひどい疲れで体を動かすこともできなくなり、私は一日中ベッドの上の天井を見つめながら、過去のことのように人々の生きている世界を想った。
美と欺瞞と両方に満ちた世界を私は愛してたけれど、それらと私は隔たったのだと思うと、気が楽になり安心した。無力になった私には何もかも絶望的だったが、それが私と世界の本来あるべき姿だと悟り、やっと疲れが取れた思いがした。また、ずっとそうしていたいし、そうしているべきだと感じた。
しかし物理的な形而下のできごとが私の足をひっぱる。それらは全て私を疲れさせるだけの余計なものになった。肉体を維持させているものは親に依存していたし、食べ物を摂取して排泄しなければならなかった。そうしたものと縁を切る自殺とは、悲哀さもなければ自己陶酔の末路でもなく、実践的で前向きな解決策だ。ただ本当にそれが正しい選択なのかはずっとわからなかったし、最良の方法ではないと本能は訴えていた。
その時は何ひとつとして言葉にならず、ただ快楽だけが、私と現実をぼんやりとつなぎとめていた。それゆえ私はあらゆる快楽を憎んで蔑んだ。