SNSのコミュニケーション

SNSが目指すのは村社会の復活のように思われて、そこに違和感を感じることがあります。SNSでのコミュニケーションが感覚的に合わないという人は少数派らしいですし、慣れの問題も多分にあると思います。
しかし根本的に、SNSは一つの形を提供しているのだから、それに合てはまらないものというのはあるわけです。
コミュニケーションが社会性によって生まれる時は、言葉を形式にあてはめるのは当然であり、それが目的の一つであるため、容易いことです。しかし、発言が個人の感情によって生まれる時は、形式は表現の枷でしかない。
2ちゃんねるであんなに自由な言葉が日々生まれ続けて、次々と形式が生み出されているのは、あそこで語られる言葉がほとんど全て個人的感情に拠るもので、かつ自意識を捨てた状態で書かれた言葉だからだと思います。

SNSは、感情的なコミュニケーションに向いていません。 現実よりもマイナスイメージの言葉が言いにくい環境です。誰でも日記などにアクセスできるので、日陰がありません。小さな村にいるような緊張感を強いられます。

こういった環境を現代人は一度捨てました。それを再びネット上で拾い上げるという遠回り。遠回り自体は億劫なものです。
10年前アダルトサイトと死体写真くらいしか無かったインターネットにようやく温度が流れるようになったと言うこともできますが。