なぜ釣りをするのか。

(ばすたつ)
さて、バス釣りの話ですが、
何故、食えない魚にアツクなる愚か者が多いのか?
簡単に言えば、最も生態が釣り人に把握されている魚でありながら、その把握の例外が数限りなく存在し、釣り人がその例外も含めた思考の元で行動や反応を確認すると言う行為(ここが釣りの部分)ができる、現在の日本でもっとも身近になってしまった魚であるというのがその理由だと僕は思ってます。
つまり、数を釣るにも大きい魚を釣るにも、運をもっとも排除して自分のもった能力だけで釣ることが出来る魚だから面白い、と。
そんなわけで、僕らはアホになるわけです(苦笑)
sinh)
まぁ、「狩猟本能」です。 言い訳でもなんでもなく、 コレは生理的な欲求に近い。 「やりたい」とか「食いたい」とおんなじ感覚ですね。 欲に駆られた小さな人間が金を動かす釣り業界の構造は まぁ、エロ業界とおんなじ構造ですね。(笑)
釣りたいちゅうのは、食いたいというのとは別個の欲求。 その欲に振り回されて周りが見えなくなるわけですな。 狩猟本能という汚い欲による自然へのレイプが 釣りでございますな。
(koikeakira)
バス釣りの説明、よくわかりました。ありがとうございます。 釣りの「腕」だけを抽出してくれる魚がバスなんですね。
だから中途半端な釣り人ほど、自己顕示的にバス釣りをしたがる、というのは意地悪すぎる言い方でしょうか。 ギターの早弾きにもよく似ているように思います。
しかし、メタル小僧の早弾きも、私の漢字検定マニアも、「よりかっこいい音楽を作る」「よりよく日本語を操る」という正道に対して、自らがその横道に逸れて邪道を行っているということに対して自覚的だったりします。
対して釣りは、正道が邪道に埋もれてしまい、邪道が正道になっているように感じます。釣り人の罪はといえばそこではないでしょうか。そもそも釣りの正道はと言って、皆に共通認識されているものは存在していないと言っていいのではないでしょうか。
ルールと美学を含有した魚釣りの正道が、開高健のように、あるいはスナフキンのようにスタイルを伴って唱えられれば、釣り人のマナーが向上することも夢ではないと思います。
(ばすたつ)
僕らの欲求が狩猟本能かどうかは、真面目なハナシよく分かりません。 が、Sinh氏の言う通り、確実に「サカナ釣りたい。人として道外れてる気がするけど、ココで釣りたい」という欲望が存在してます。
僕の中に。 それはもう、汚い言い方とSinh氏はいってますけど、まさにレイプ願望に近いレベルです。 性欲より、釣欲が強い人間が周りにはゴロゴロ(笑)
釣りの本質…、書いておられる様に、「食う」のか「食わない」のか。そこに釣りの本質を分かつモノの一つがあると思います。
前者は、漁や狩りとしての釣りの本質を色濃く持ち、後者は純粋に釣りそのもののオモシロさという本質を持っていると思います。
あくまで、個人的な見解ですが。 純粋な釣りだけを求めると、魚を食う食わないは二の次になってしまう部分が僕の中にはあります。 言うなれば、自然界全てが釣り掘であるとの認識を持つようになる、と。
(hissa)
結局食うならいい。飼うならいい、じゃなくて。人間のエゴと地球環境へのダメージをどこでバランスをとるか、ということだと思います。そのためにモラル向上を啓発するのはもちろんですが、やっぱり法規制しか実行力はないと思います。
(koikeakira)
魚や河川に対する愛は、別に釣りでなくても育むことはできます。
むしろ殺生をせず、また実益を兼ねないただの磯遊びの方が、水辺の生態系をよく知る機会です。
干潮で岩場に取り残されてパタパタしていたハコフグを見つけたときは、「バカだねオマエ」とか言いながら海に返しましたが、今だにわが子のようにハコフグの行方が気になります。
今も海のどこかにあのハコフグの子供がいるのだと思うと凄く嬉しい。 もちろん魚は食べますが、捕る捕られるの関係だけじゃこういう思いは抱くことができないでしょう。
私が釣りをやりたくないのは前述の根がかりの件ですが、おもりや針を海に残すと環境に悪いからというより、その罪悪感によって私の心が不健康になると思ったからです。
その時、心理的に罪悪感を感じるほど、それを自分で許すために釣りの面白さを肯定し(=私がハマるのも仕方がない、だってこれは面白いものだから)その証明に釣りをまたやるという円還が見えてゾッとしたのです。
(gemini)
Barbaraさんの
>自然が破壊されるのとその人のアイデンティティを破壊されるのとを天秤にかけるのは難しいというのはあまっちょろいのでしょうか?
というところを読んで、似てる人達を思い出しました。釣り人と同じようにバッシングの嵐にあっている特殊な人達…オタク達です。頻発する幼女誘拐殺人に対して、一部のオタク達がこんなサイトを立ち上げました。
「オタクだからこそ女の子をまもります」宣言
http://yellow.ribbon.to/~aka7/savegirls.htm
これを読んで、女の子の母親であるわたしは反射的に「キモッ!」と思ってしまいました。別にお前らに守ってもらわんでもいい、と。何が気持ち悪いかって「とにかく自分の欲望を肯定してもらいたい、もしくは見逃してもらいたい、そのために『女の子を守る』という大義名分を掲げている」というところ。 一部の心ない人の行為によって非難される立場にある彼らには同情はしますが、同じサイト内にある幼女を犯しているようなマンガの紹介文は反吐が出そうなほど気持ちが悪いです。「2次元の幼女を犯すことの素晴らしさ」を語られても、何ひとつ共感出来ません。
同じようなことを「釣りの素晴らしさ」を語る人にも感じます。「そんなキモオタと神聖な釣りを一緒にするなー!」と怒られるかもしれませんが、部外者にとっては似たようなものです。
他人の欲望というものは基本的に不可解で共感できないものだと思います。 ただ、わたしも他人の欲望そのものは否定はしません。 犯罪を犯さない限り、オタクも釣り人もその自由を保障されるべきですし、啓蒙活動もしていけばいいと思います。楽しくやってる人達に水を差す気持ちはありません。
(koikeakira)
人はお互いの違いを理解しあうために話し合うべきですが、それは理想でしかなく、話し合いのテーブルに着席してもらうまでが一番問題だったりします。げみさんが言いたいのはそのことで、ロリヲタたちに「話しを聞いて欲しいならもっとやり方を考えろ」と思うのは私も一緒です。
ヒステリックな感情を解消をすることも議論の役目であるし、人をつき動かすものは理性ではなく感情だと私は思います。最初から感情を挟まずに他人に語ってもらおうとするのは、甘いと思います。いい年した大人だって、感情で動いているものです。