いきさつ

私と私の家族はここ数年間、ある凶悪な犯罪者と戦っていた。それが今日終わったのだ。3年間たち込めていた暗雲がやっと晴れた。やっと自由になった。もう怯えることは無い。全て終わった。
明日、新聞に載るかもしれない。一人の容疑者が4日未明、拘置所内で自殺したと。

犯行は明白だったにもかかわらず、被告は上訴を続けた。嘘しか語ることができない男だった。たとえ真実でもそいつの口から語られると嘘になる、詐欺と暴力の愉快犯。筋肉隆々のレクター博士拘置所から手紙を出して被害者たちをさらに痛めつけることは、朝歯を磨くのと同じような感覚だったようだ。

彼が死んだのは罪悪の念などでは決してない。己のプライドが傷つけられることと、嘘がばれること、つじつまが合わなくなること、自らの減刑のために謝罪をせねばならなくなること、つまり己の不完全さの露見とそれらを公に明らかにすべく翌日に控えた最高裁の審議結果から逃げ、自分を守るために死んだのだ。

奴の性格からして謝罪の言葉など到底望めないと知っていた我々にとって、この結末は最良のものだった。奴を野に放ってはならない、新しい被害者が出るのを止めなければならぬと奔走したものの、現行の裁判制度の理不尽さの前に無気力となった私には、報われた思いすらある。

出所後の報復を予告されていた三家族。働くことができなくなった者二人、親を亡くした子が三人、そして新たに作られる被害者。それらの生活が守られるとしたら、この方法しか無かった。多くの人が彼の自殺によって助けられた。そして皆事件のことを過去に変えて、明るい方角に目を向けることができるようになった。多くの人の人生が今日から変わる。
悪人でも、最後にたった一つの善行ができるということか。