なぜ厨房は厳しいのか

koikeakira2006-08-11

この記事をボロクソにけなしてから支持した後でまたけなします。
最後の〆の文章が「それが人生なのだ」で終わるような信じられない悪文なので、最初の一ページだけ見てもらえれば十分です。むしろ読んだら脳に酢が入る恐れがあります。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20060727/107010/

何も見たことのない門外漢がこんな場所で発言権を与えられていること自体、この著者のような団塊世代成果主義から逃れた逃げの世代であることを見せ付けられた気持ちです。この人が最後に厨房を見たのが戦前なのでしょう。以降何も変わっていません。これは言わば普遍的な厨房の姿です。

私のバイト先は銀座の一等地のビルの最上階や赤坂駅前のビルなどに店舗を持つごくまっとうなレストランですが、私がここで「教えて」もらったのは、従業員用のトイレの場所くらいなものです。あまりに何も教えてくれないので、入ったばかりの頃オーナーに相談しました。そのとき直接聞いた言葉は、
「みんなあなたに教えなくてはいけない義理は無いのです。他の店でうちと同じ料理を出されたら、やはりイヤですし。」
新入りに簡単に料理を教えたりしない料理人をこそ、経営者は求めているのです。味を守るのも、正しい相手に伝えていくのも厨房で働く料理人の義務なのです。

この言葉を聞いた時は少しショックを受けました。しかし次第に次第に、これはイジメを肯定するような意地悪な皮肉どではなく、むしろとても優しい確信のある言葉であり、店のすべての料理のレシピを渡すよりもむしろ太っ腹な教えであることを噛み締めるようになりました。こういうことをはっきりと言ってくれる器のある人は、滅多にいるものではありません。

ファーストフード店の場合だったら、利益を上げるうえで秘密にしておかなくてはならない事柄というのは、店の中にはありません。ソースに何が使われているのか、ハンバーガーを作っている本人も知りません。でも、すべてが手作りの店の中には、秘密はすべてそこにちりばめられているのです。

ではレシピは守られなければならないかというとむしろその逆です。厨房で働いて特定のお客さんに奉仕することと、おいしい料理のレシピを一般に広めて社会全体に奉仕することは、全く別の仕事です。しかし原点は人を喜ばせたいという気持ちであり、料理という手段も同じです。しかしそれを同時進行でやるには村上信夫シェフのように一つの厨房には収まらない才能だけではなく、相当の習練と地位が必要なわけで、それをこの記事の著者のように一般のシェフに求めることはシェフにレシピを守る義務を怠れと言っているだけで本当にわけのわからない主張であるわけです。

現在でも村上シェフのようにレシピを紹介したり本を出したりといった活動に積極的な有名シェフが何人かいます。私の働いているお店もそのシェフの名を冠してますが、それでも厨房は厳しいのです。