血と血のあいだに

料理をしている時、特に骨も内臓もついているそのままの肉を買いその下処理をしている時、私は物語の欠如を感じて想像を奔らせてしまいます。私は本来狩猟あるいは飼育をしてこの肉を得るべきだったという思いが根本にあるからです。きっとそこには買い物という形で簡略化してはいけない手続きがあったはずです。

食材探しとしての狩猟や飼育の体験には、生き物との出会いがあり、かけひきや対話があり、運や神があり、大いなる第三者である自然界から肉を享受するという関係性があり、実感があります。

買ってきた鶏肉を調理しながら、鶏が生きていた頃の個性はどのようなものだったのか、食べるにはその鶏のことを知らなさ過ぎるということに気づきます。今日食べた鶏と先週食べた鶏が同じではないことを忘れながら食べていたのでは、味覚だって衰えるのです。

せっかく都会人として生まれたのでそういった原始的な感性を呼び醒ましたくないという人や、肉を食べることの罪を忘れるために肉屋があるのだという人も多いでしょう。いや、そういった人の方が多数派であり普通なのかもしれません。

検索中に見つけたキュートなケーキ画像