2005-08-13から1日間の記事一覧

コーランはどうなの

さて、ここまで書けば避けて通れないコーランですが、翻訳禁止です。日本語訳はありません。しかしコーランがどうして神の言葉そのものだと信じられているかというと、それはその文学性の高さゆえで、人間には到底到達することのできない筆致だからと言われ…

秩序と混沌

ユダヤの聖書がもたらすのは整然とした秩序の世界です。代々受け継がれることに大きな意味があり、永遠を思わせることでしょう。ある規則に従って動き、そのまま永遠に変わらない社会・世界に生きることを想像してみてください。人間が今後もずっと今と変わ…

人生の辞書

人生において悩みや問題にはち合った時、聖書をひくと自分が何をすべきか、本に導きを求めることができます。子供は成長にあわせて聖書を読みすすめ、そのページにはその年代に合ったクエッションとアスクが待ち伏せていたかのように書かれています。 今手元…

ユダヤ教聖書

ユダヤ教聖書は基本的に門外不出であり、ユダヤの子供には洗礼と同時に一人一冊与えられるそうです。それを一人で何十年も使っていくそうです。さぞや立派な装丁で、使い込んだ味わいが何とも言えない素敵な本となるでしょう。孫が祖母や祖父からその一冊を…

聖典のある暮らし

どうせわけがわからないだろうからと、パラ見で終わりの予定だったマハーバーラタを読んでいる所を、ネパール人の知人に見つけられてしまいました。すると「すごいね!勉強家だね!あなたってそういう人だったの!素晴らしいわ!最高!」不意打ちの大絶賛。…