ファンタジーとしての鬱や繊細さ

ボンテージや刺青、ピアス、肉体改造、パンク、ゴスなどのファッションには死に近いという共通点がある。死は観念をファッションにするという意味では最も成功している/成功しやすいテーマだ。それに著しく記号化されている。ファッションは内部の記号化なので、それがファンタジーの素材になるのは普通だと思うけれど、居住区が近いからといってひきこもりや自殺をファンタジー化するのは多くの矛盾がつきまとう。
ひきこもりと自殺。前者はバッシング材として使われるほか、漫画や映画の取るに足らない作品の中ではどちらも繊細さの記号であり、その証明のように扱われる。キャラ設定にこの手のものがあると、非常に萎えるし見る気が無くなる。繊細さのステータス化をしている時点で非常に無神経で無頓着だ。ひきこもりや自殺は、そういうことができる人に扱えるテーマではない。
またそうした無神経な人々の作る中身の無い記号を、免罪符を買うように手にとり、陶酔しつつ貝印のカミソリを手首にあてる人は、自分の欺瞞を見抜けていない。これも繊細さとはいえない、図太い行為だ。
ひきこもりと自殺者をファンタジー化するという行為は非常に寒い。だから斉藤環は嫌われるし、何もわかっていないと言われ、夜想の編集長には「アチャー」と目を背けられる。