「萌え」のカルマ

「萌え」を文化現象たらしめているものの根源は、エロゲーのようにカタルシスを得られないというそのもどかしさだ。好きな相手を想えども想えども、それが形となって昇華されることはなく、個人の胸のうちに降り積もったまま留まり続ける。その狂おしさが萌えの原点だと思う。それは確かにセックスを知らない子供の頃の初恋に似ている。仏教思想の一説には、人間の思いは必ず何らかの形となって発現するとされている。そして「カルマ」とは、ごく大雑把に言えば、現世で果たせなかったまま来世に持ち越される思いのことだ。カルマは人間の心に重くのしかかる。それを進んで背負おうとする「萌え」は、人の魂を不均衡にするものだと言える。子供の頃の初恋なら、大人になってからの再会もあり得る。その可能性こそ救いなのだが、「萌え」にはそれが無いゆえに「萌え」なのだと私は思う。二次創作はそのカルマを逃がそうとするものだが、しかしやはり完全な解消には至らないので、麻薬的に必要になってくる。