「余裕」か「無駄」か

民営化によってクロネコヤマトや佐川急便のように一分一秒でも早く、と競わせるような方針になってしまったら、以上のような公共サービスとしてのあり方は失われてしまうでしょう。これらは利潤より公共の利益を追求する公社だからできることです。社会全体に心の余裕がどんどん失われていく今、果たして合理化を進めるべきなのでしょうか。合理性から情緒は育ちません。心の余裕は時間の余裕であり、お金の余裕です。
頭の悪い上司も伝達の悪さも、やはりそれを含めての余裕であって、彼らが時間をひっぱるだけ配達員はのびのびと(笑)仕事ができるわけです。