血の碑

ケーテの暗黒は、ナチス後のドイツの深い反省を象徴するものであり、現在のドイツ社会の内省に満ちた成熟を文化面から支えているといいます。ケーテの作品は、多くの血と涙を流した経験の碑です。二度の大戦がどれほど深く人々を傷つけたのかが刻まれています。戦争を知らない世代にとってこれほどの教訓は多くはありません。
さて、教訓というのは出来事から離れてその言葉自体が生きるものではありません。具体的な内容や身に感じた痛みを伴ってはじめて力を持つのです。言葉だけが残って、その内容である事実が忘れられた時には教訓も死にます。からっぽのレトリックになってしまうのです。そしてふたたび同じ轍を踏んだ時に、言葉の意味をやっと思い出す。忘れることは、繰り返すこと。繰り返してしまう前に、痛みを思い出すことで踏み止まることができると思います。それを思い出させてくれるのが、ケーテの作品だということです。
日本は被爆させられたにも関わらず、これに似たものは「はだしのゲン」くらいで、ケーテほどに愛される民衆の痛みを描いた芸術というのは全くありません。GHQから今に至るまでの公安活動がそれらの発生と流行を強力に抑えているのです。不思議なことに、原爆の様子を描いた地獄絵図のような絵やはだしのゲンは許されても、ケーテの描くような戦時下の民衆の像は一切許されません。これはつまり、日本が率先的な悪だったことを日本人に印象づけたいからです。すべてはアメリカのため。罪なき犠牲者としての日本人は存在してはならないのです。もし戦争を再び起こさぬことが一番尊ばれたなら、芸術に対しこのような統制が敷かれることはありません。