手塚治の危ない話

手塚治虫を偉大だと感じる最大の理由の一つに、性の探究があげられます。手塚治虫作品には何らかの境遇によって普通の人とは決定的に違ってしまった女性たちと、それに欲情する男たちが非常によく出てきます。体が透明な女性、障害を持つ女性、獣人、異常性欲の女性、などなど。中でも一番印象が強いのは「奇子」のタイトル同名の主人公です。
4歳の時に戸籍を抹消され、土蔵の地下に封印され、食事なども窓ごしに与えられて17歳になるまで一度も外に出られなかった奇子
奇子の肌は外気にさらされることが無かったため、傷もシワも一つも無く赤ん坊の肌のような瑞々しさを持っていたとあります。そして予測不能の子供のような奇妙な行動。異形のように美しい、強烈な妖しさを持つ美女です。男がわらわら寄ってきます。
戦後の混乱にある田舎と都市とを舞台にしたこの作品ですが、邪推すると、手塚治虫がこの作品を思い付いた最初のインスピレーションは「究極の肌を持つ美女をどうすれば創れるか」だったのではないでしょうか。そこから「土蔵に閉じ込める」→「社会的に抹消」→「保守的な権力者の犠牲」→「入り乱れる政治的な思惑」→「戦後の混乱」というふうに話しを広げたのが「奇子」の物語だったと、私には考えられます。つまり作品自体が奇子を土蔵に閉じ込め育成するための手段なのです。作品は痛烈な社会批判、完璧なシナリオ、露骨でありつつもポルノ性を排除した性表現で、手塚治虫らしい完璧な理性によって形が整えられていますが、その着想はなんとも鬼畜だというわけです。ラストでは奇子を不幸にした大人たちに天罰が下り、皆が皆死んでしまうわけですが、手塚治虫本人にも罪の意識があったのかもしれません。