異形の微笑み

手塚治虫作品を読んでいると、性の可能性を限界まで試してみたいという欲望について、手塚治虫は考えていたのだと感じます。性の領域のさいはてから投げかけられる妖しい微笑に、手塚治虫は恐れることなく目を合わせていました。その視線を感じた時、自分のセクシャリティを「正常」だと決めつけた凡人ならば、目を反らし見なかったことにしてしまうでしょう。また逆に、自分のセクシャリティを「異常」とみなした人達は、いたずらにその領界線を超えようとします。恐ろしいほど自由な感性を持ちながら、自分を買いかぶることも無かった手塚治虫のバランス感覚こそが神の業だと私は思います。