FF12がつまらないと思う部分とその原因と対策と心配

koikeakira2006-03-19

先日のエントリに引き続き。id:hissaさんのコメントとid:nekoprotocolさんのトラバを受けて考えました。
なぜHP制やHUD表示に嫌気が差したのか。グラフィックは綺麗だし、ストーリーも面白いし、バトルや成長のシステムも良いのに、なぜFF12をつまらないと感じてしまったのか。
モンスターとの戦闘に迫力が無いから、というのが大きな原因かもしれません。

FF12のモンスターはまだ二次元にいる

FFのモンスター達は姿は立体でも、存在のありかたはまだ一枚絵のままです。
窮鼠猫を噛むという言葉の通り、動物は瀕死になると突拍子も無い行動に出ます。特攻したり自殺したり、戦いの相手に対して思いやりを見せたり、メッセージを残したり。普段は何も考えてなさそうな動物が、その時だけは人間並みの知力や異常な力を出すのを何度か見たことがあります。その時鬼気迫る迫力といったら。またその多様さといったら。瀕死の動物が相手なら、私は猫にすら勝てる気がしません(筋力も知力も)。

叩かれて叩かれて、あがきもせず音も無しに死んでいくモンスター達には、生きる気力は無さそうに見えます。生に対する執着がゼロです。何事も無かったのようにパタリと倒れて消えて行く様を見ていると、何かものすごく違和感があってシラけます。ボス敵が相手で迫力のあるムービーが入っても、死ぬ直前のあまりの平然とした様子にかえって貧乏臭さを感じてしまいます。

二次元の頃にはこのような違和感や白ける感じを受けることは無く、モンスターを次々消し去るのに夢中になることができました。
二次元の頃はモンスターをコンピューターだと認識していたのに対し、三次元になってからはモンスターが目の前をウロウロするようになったので、私の脳味噌はどうしても「生き物」だと認識してしまうようです。
作り手側が「モンスター=一つの小さなプログラム」ということをプレイヤーに忘れさせようとすればするほど違和感が増していくのかもしれません。その最後が生き物らしくないゆえに。

モンスターは二次元に置いておくべき?

id:nekoprotocolさんがザックリ分類したところの「A.コンピュータを意識させないゲーム」(主に3D)と「B.コンピュータを意識させるゲーム」(主に2D)のうち、Aの方向性を追求するなら、今のグラフィックで全てのモンスターに「窮鼠猫噛プログラム」を書き込めばもう究極レベルまで達しているとは思います。ものすご〜くリアリティが出ると思います。

でもね、多分製作者もそんなにバカなはずはない。わざとそのリアルとアンリアルの最後の一線を超えないで差し置いておいたのではないかという気も、私にはするのです。

倒される最後にどうにか生き延びようと生への執拗な執着をむき出しに、足掻いて足掻いて死ぬ気の根性で戦い、死に際には時に神々しささえ感じるほどの知性や気高さ、無念さや悲しさを見せるモンスター達を、ボタン一押し潰殺。イヤな汗が出ること間違いなし。窮鼠猫噛プログラムは体感残虐性を2ケタくらい水増ししてくれそうです。さらに死そのものの持つ魔力や神秘性をいちいち味わわされるとなれば、戦闘でのプレイヤーの疲労度も体感2ケタ増し。

FFには至上最強にしてカンペキなゲームであって欲しいから、結局、その一線は超えて欲しくないという結論でした。

まあでも、ストーリーが終盤に行くにつれ、戦闘はプレイヤーの頭脳vsシステムの限界を試す究極のプログラムという雰囲気を帯びてくるので、きっと最後の方にはFFⅤでのオメガ戦のような究極に二次元的な楽しさが味わえると期待してます。早くレベル99にならないかな〜。

HUD表示をやめるとしたら

HUD表示をやめることでゲームに深みを持たせるなら。
プレイヤー側のキャラクターにHUD表示しないのは面倒なだけなので、表示しておく。モンスターのHUD表示およびライブラを封印します。
同じモンスターでも固体によってHPやステータスの数値にかなりの幅を持たせ、プレイヤーに個体差を意識させるリアル路線で行きます。受けたダメージの幅によって窮鼠行動させ、どの程度のダメージで窮鼠行動に移るかという幅も大きく持たせる。瀕死の敵は強い=早くor一発で倒さなきゃいけないというイメージにする。プレイするのにすごい緊張を強いるゲームになりそうです。