釣りをめぐる議論

koikeakira2005-03-03

今回はいつもと変わったエントリーです。
mixi内でぽっと火がついた議論が盛り上がり、キャッチ&リリースの肯否から釣り人のありかた、釣りの本質まで、肯定派、否定派、またどちらでも無い方も多いに語られました。次々出てくる目から鱗の新鮮な視点や意見は、mixiの日記に留めておくには勿体無いものでした。釣り好きの方にとっても、アンチ釣りの方にとっても楽しめることと思います。
マナーが悪いとのイメージがある釣り人たちですが、釣りをしない人には不可解な存在であったりします。不可解ゆえの不快を取り除くことのできた、貴重な議論です。議論自体はまだ完結はしていませんが、決着をつける性格の議論ではないので、ひとまずここまでで。
以下、承諾を得て読みやすいようにトピックごとに編集したものです。編集は私が恣意的にしたものなので、不適切な解釈もままあると思われます、随時訂正させて頂くと思います。また、長くてもこの議論の一部始終を読みたいという方で、mixiのidをお持ちの方がいらっしゃいましたら、メールをくださればアドレスをお返しします。

主要トピックは、1、マナーについて 2、なぜ釣りをするのか 3、釣り人のありかた/釣りとは何か 4、キャッチ・アンド・リリース 5、釣りメディア 6、狩猟本能という言葉 7、スポーツフィッシングという言葉 8、釣りにまつわる雑学 0、リンク 以上です。

マナーについて

(sinh)
釣り師というのは欲に駆られるせいか、 異常にレベルが低い。 これは僕一人の意見ではない。 実際、カヌーやサーフィンをやる人からみたら 基本的に煙たい存在だろう。 山や海を知る人から見ればなお更である。
で、俺自身は釣りは好きで嫌いだ。 こういう葛藤を抱えながら釣りと向き合っていく というスタンスは間違ってはいないと考えている。
否応無く「悪者」というレッテルを突きつけられて 釣り業界は大変だろう。 でもだからこそ。
悪者を自覚した人が真摯に考えれば、 結論はきっと一歩進んだものになる。
ぼくの知っている釣りをする人たちは 紳士で、人格者な人々が多い。
だからこそだ。目をそむけずに葛藤すべきだと思う。 あ、まぁそらみんな考えてるよねもう。 でも、それはどうやったら釣りを続けていけるかという 小さな視点な気がするのは、オレだけではないはずだ。 だから第三者の誰にも意見は届かない。
無論だが、ぼくは自分が正しいとも思っていない。 みんな悪なのだ。釣りをしない人もそう。 愚かな釣り人ドモも、そろそろそこに気付かなければならない。 もう随分遅いけど。
(koikeakira)
モルディヴで針が根がかりして糸を切って以来、ショックで釣りをしていません。その時の糸にはたくさんの錘りといかつい鉤針がついて、それを真っ白な砂の海に残していった自分を今でも憎んでいます。釣りにはマナーの悪さが憑物なんですよね。
(sinh)
ぼくも随分水の中を汚した人間です。 だから人にとやかく言える人間ではありません。
ただ、条約がどうとかそういう問題よりも もっと根本的な精神論を考えないと 今の状態はずーっと悪くなっていく一方だと考えています。
バスが規制されるのは理不尽な成り行きではない。 そこに怒っても仕方がないし、幼稚だと思うんです。 それだけのことをしてきたわけですから。
(ばすたつ)
先日は、三宅島の避難勧告が解除された途端に釣り人が訪れ、しかも有毒ガス汚染の為に危険地域に指定されている場所で竿を出そうとした…なんてニュースも流れました。動機は「人が入っていないから良く釣れると聞いた」からだそうで。
ココまで愚かな釣り人はそんなに居るわけではないにしろ、彼らの動機を理解できる自分が居るわけです。 自己嫌悪に陥りますが。
釣り人と言う人種は、Sinh氏の言うとおりエゴの塊でどうしようもない愚か者の集まりです、多分。自分たちの既得権益が脅かされる今になってすら業界は意思の統一が図れていないくらいですし。よくもわるくも、業界が危機だって思う時くらい普通もうちょっとまとまって行動するんじゃないかい?って苦笑してしまうくらい。
ただ、少しでも釣り人が取り巻かれている状況を良くしようと動いている人たちもきっと居るわけで。僕はそんな人々が少しでも増えてきてくれることをただただ願うばかりです。
(koikeakira)
環境の問題は本当に目糞鼻糞ですね。釣りをすることで自分と自然の共存を感じることができたら、変な言い方ですがより誠実になれる可能性はあると思います。
ペットボトルをごみ箱に入れるより、針を海に捨てる方がより直接的なので、罪の意識を感じやすいですね。 ただ、続けることで無感覚になってきます。その時にコワイのは後者の方だと思うんです。
sinhさん、ばすたつさんのように真剣に考えている人が、「我々は非難されて当然だよね」って言わざるを得ない状況が、悲しく感じます。
おそらく釣り人の感覚として、河川や海は国や自治体のものであり、そこから財産である魚をちょっぱねる、得をする、という気持ちがあるのではないでしょうか。 違うんですよ。魚も川も、すべて自分たちのもの。だから大事にして欲しい。自分のものだったら、大事にできるでしょう。

なぜ釣りをするのか。

(ばすたつ)
さて、バス釣りの話ですが、
何故、食えない魚にアツクなる愚か者が多いのか?
簡単に言えば、最も生態が釣り人に把握されている魚でありながら、その把握の例外が数限りなく存在し、釣り人がその例外も含めた思考の元で行動や反応を確認すると言う行為(ここが釣りの部分)ができる、現在の日本でもっとも身近になってしまった魚であるというのがその理由だと僕は思ってます。
つまり、数を釣るにも大きい魚を釣るにも、運をもっとも排除して自分のもった能力だけで釣ることが出来る魚だから面白い、と。
そんなわけで、僕らはアホになるわけです(苦笑)
sinh)
まぁ、「狩猟本能」です。 言い訳でもなんでもなく、 コレは生理的な欲求に近い。 「やりたい」とか「食いたい」とおんなじ感覚ですね。 欲に駆られた小さな人間が金を動かす釣り業界の構造は まぁ、エロ業界とおんなじ構造ですね。(笑)
釣りたいちゅうのは、食いたいというのとは別個の欲求。 その欲に振り回されて周りが見えなくなるわけですな。 狩猟本能という汚い欲による自然へのレイプが 釣りでございますな。
(koikeakira)
バス釣りの説明、よくわかりました。ありがとうございます。 釣りの「腕」だけを抽出してくれる魚がバスなんですね。
だから中途半端な釣り人ほど、自己顕示的にバス釣りをしたがる、というのは意地悪すぎる言い方でしょうか。 ギターの早弾きにもよく似ているように思います。
しかし、メタル小僧の早弾きも、私の漢字検定マニアも、「よりかっこいい音楽を作る」「よりよく日本語を操る」という正道に対して、自らがその横道に逸れて邪道を行っているということに対して自覚的だったりします。
対して釣りは、正道が邪道に埋もれてしまい、邪道が正道になっているように感じます。釣り人の罪はといえばそこではないでしょうか。そもそも釣りの正道はと言って、皆に共通認識されているものは存在していないと言っていいのではないでしょうか。
ルールと美学を含有した魚釣りの正道が、開高健のように、あるいはスナフキンのようにスタイルを伴って唱えられれば、釣り人のマナーが向上することも夢ではないと思います。
(ばすたつ)
僕らの欲求が狩猟本能かどうかは、真面目なハナシよく分かりません。 が、Sinh氏の言う通り、確実に「サカナ釣りたい。人として道外れてる気がするけど、ココで釣りたい」という欲望が存在してます。
僕の中に。 それはもう、汚い言い方とSinh氏はいってますけど、まさにレイプ願望に近いレベルです。 性欲より、釣欲が強い人間が周りにはゴロゴロ(笑)
釣りの本質…、書いておられる様に、「食う」のか「食わない」のか。そこに釣りの本質を分かつモノの一つがあると思います。
前者は、漁や狩りとしての釣りの本質を色濃く持ち、後者は純粋に釣りそのもののオモシロさという本質を持っていると思います。
あくまで、個人的な見解ですが。 純粋な釣りだけを求めると、魚を食う食わないは二の次になってしまう部分が僕の中にはあります。 言うなれば、自然界全てが釣り掘であるとの認識を持つようになる、と。
(hissa)
結局食うならいい。飼うならいい、じゃなくて。人間のエゴと地球環境へのダメージをどこでバランスをとるか、ということだと思います。そのためにモラル向上を啓発するのはもちろんですが、やっぱり法規制しか実行力はないと思います。
(koikeakira)
魚や河川に対する愛は、別に釣りでなくても育むことはできます。
むしろ殺生をせず、また実益を兼ねないただの磯遊びの方が、水辺の生態系をよく知る機会です。
干潮で岩場に取り残されてパタパタしていたハコフグを見つけたときは、「バカだねオマエ」とか言いながら海に返しましたが、今だにわが子のようにハコフグの行方が気になります。
今も海のどこかにあのハコフグの子供がいるのだと思うと凄く嬉しい。 もちろん魚は食べますが、捕る捕られるの関係だけじゃこういう思いは抱くことができないでしょう。
私が釣りをやりたくないのは前述の根がかりの件ですが、おもりや針を海に残すと環境に悪いからというより、その罪悪感によって私の心が不健康になると思ったからです。
その時、心理的に罪悪感を感じるほど、それを自分で許すために釣りの面白さを肯定し(=私がハマるのも仕方がない、だってこれは面白いものだから)その証明に釣りをまたやるという円還が見えてゾッとしたのです。
(gemini)
Barbaraさんの
>自然が破壊されるのとその人のアイデンティティを破壊されるのとを天秤にかけるのは難しいというのはあまっちょろいのでしょうか?
というところを読んで、似てる人達を思い出しました。釣り人と同じようにバッシングの嵐にあっている特殊な人達…オタク達です。頻発する幼女誘拐殺人に対して、一部のオタク達がこんなサイトを立ち上げました。
「オタクだからこそ女の子をまもります」宣言
http://yellow.ribbon.to/~aka7/savegirls.htm
これを読んで、女の子の母親であるわたしは反射的に「キモッ!」と思ってしまいました。別にお前らに守ってもらわんでもいい、と。何が気持ち悪いかって「とにかく自分の欲望を肯定してもらいたい、もしくは見逃してもらいたい、そのために『女の子を守る』という大義名分を掲げている」というところ。 一部の心ない人の行為によって非難される立場にある彼らには同情はしますが、同じサイト内にある幼女を犯しているようなマンガの紹介文は反吐が出そうなほど気持ちが悪いです。「2次元の幼女を犯すことの素晴らしさ」を語られても、何ひとつ共感出来ません。
同じようなことを「釣りの素晴らしさ」を語る人にも感じます。「そんなキモオタと神聖な釣りを一緒にするなー!」と怒られるかもしれませんが、部外者にとっては似たようなものです。
他人の欲望というものは基本的に不可解で共感できないものだと思います。 ただ、わたしも他人の欲望そのものは否定はしません。 犯罪を犯さない限り、オタクも釣り人もその自由を保障されるべきですし、啓蒙活動もしていけばいいと思います。楽しくやってる人達に水を差す気持ちはありません。
(koikeakira)
人はお互いの違いを理解しあうために話し合うべきですが、それは理想でしかなく、話し合いのテーブルに着席してもらうまでが一番問題だったりします。げみさんが言いたいのはそのことで、ロリヲタたちに「話しを聞いて欲しいならもっとやり方を考えろ」と思うのは私も一緒です。
ヒステリックな感情を解消をすることも議論の役目であるし、人をつき動かすものは理性ではなく感情だと私は思います。最初から感情を挟まずに他人に語ってもらおうとするのは、甘いと思います。いい年した大人だって、感情で動いているものです。

釣り人のありかた/釣りとは何か

(koikeakira)
釣り人としては、糸の先に針をつけずに垂らすだけの、仙人やスナフキンの釣りが究極だな、とか思っています。
北欧などではガム一つ捨てただけでも罰金になったり、「自分の家よりも川を大事にしろ」っていう自治体もあるそうです。それになにより「ゆっくりと釣りを楽しむこと」。焦らず、はやらず、ルールではなく、それが釣りであると。 なぜ功を焦るのか、そもそもそれは功なのか。根本から違うんですよね。
(ばすたつ)
それこそは、至高の理想です。 多分、全てのしがらみから抜け出せたら、僕にとっての釣りは全てそうなるでしょう。
「自分の家より川を大切にしろ」 メチャいい言葉だとおもいます。一度フィールドを壊した経験のある人間たちしか語ることの出来ない、苦い思いみたいなものが詰まった言葉だと思います。
(koikeakira)
釣りは人間と自然の関係性を端的に現したものだと思います。
人間は、頭を使うことで魚を相手にケガをせずに恩恵を受けることができる。その意味で、釣りをして関係を確かめるのはとてもいいことだとは思います。
(hissa)
「(他人を)エサで釣る」という慣用句があるように、釣りという行為に一種の欺き(あざむき)と罠にはめたという愉悦があることが、釣りの興味深い特性であり、また議論をややこしくしている原因だと感じます。
魚をモリで突く場合のように、食べたいから殺して捕らえるという姿勢がストレートに伝わる場合には、この行為に倫理を問う人は少ないでしょう。漁業にしても、食用資源として捕獲して殺すという事は自明ですので、たとえ生態系にダメージが甚大だったとしても、モラルの問題にはなりづらい側面があります。
生き残るために他者を欺く術(すべ)を駆使するところにおいて、人類は恵まれた能力を持っています。人類が単独で狩りをおこなう生物であればなんの問題もありません。しかし、集団を作り社会生活を営むには、互いを欺くことで失われる利益を最小限に食い止めるためのルールが必要になります。これがモラルの基礎となる部分です。
この「欺きを抑制する」というモラルの対象を人間以外のものにあてはめることで、一体誰が利益を得るのか考える必要があると思います。人間なのか、擬人化の対象とされた魚なのか、生態系としての魚なのか。
ぼくは、「欺くという貴重な能力を磨くために魚を釣るのだ」と主張されたら納得してしまいそうです。ただしそこには人間間のモラルと同様に、マナーがなければ教育的な効果は薄いと思います。できることなら、生存のための活動が地球環境を脅かすまでに肥大した人類の一員として、「人間のための生態系を最大限に保護する」マナーを学ぶための手段として釣りがおこなわれればベストだと考えます。
(koikeakira)
実に新鮮なご意見でした。確かに、そう言われれば私も納得してしまいます。ごく小さな部分ですら欺くということのできない、要領の悪い人を見ていてイラついてしまうことがあることも否めません。天才的な詐欺師を傑人と見る趣もあります。

キャッチ・アンド・リリース

(小川)
この問題のおおまかな背景は  内水面漁業者の収入が減った→環境汚染では原因が特定できないので、わかりやすいバスのせいにしてお金をもらおう→一次産業の問題なので政治動く→バスの駆除に多額な税金を使おう→環境問題に敏感な人を過剰に煽ろう→バス業界慌てて頭わるい行動を連発→さらにヒステリックに政治的圧力かかる
(koikeakira)
小川さんのお話ですと、なんというか、よくあるパターンですね。すごくくだらないパターンです。バス釣りへの視線を利用されたという感じですね。今の世の中では誰もが自分の領域をこういった政治的悪意に利用される可能性を持っていると思います。
ですが・・・冷たい言い方ですが、やっている本人達ですら負い目を感じているのなら、規制されても仕方ないのではないでしょうか。
今後バス釣りに変わる楽しみを彼等が見つけた時に、それを続ける権利を守るためにマナーを守るということができれば、長い目で見れば成功だと思いますが。
(まてて)
個人的な嗜好を「狩猟本能なので」と一般論化してしまう事や「リリースすることで環境保護してますよ」という言い訳が嫌なだけです。
生き物を相手にするゲームですから罪の意識は必要だと思います。無くてもいいんですけど、それを環境保護の論調におっかぶせて誤魔化してはいけません。 釣って傷つけた魚を「また来るからね」と水に返す行為は人間の傲慢としかいいようがありません。
釣った魚を食べる事は「業」です。 釣りそのものが楽しいと思う傲慢さもこれまた「業」です。 わたしが「リリース」を嫌う理由は、リリースする事でこの業を背負う事を拒否してように思えるからです。
(barbara)
リリースって、そんなに偽善的に行われているの?
快楽をそんなに肯定してやられているの?釣り人の罪悪感を減らしてるの?極論だけどオナニーした後のティッシュみたいな虚しさは無いの?
「誠意」というか形として「私達は業を背負っています」ってポーズが見たいのは確かです。
(小川)
リリースの問題ですが、業を背負っていないように見える人もいますし、背負ってる人もいますから、 皆さんの書き方は結構一方的な感じがします。 しかしながら、それを生み出したのは僕の属する釣りのメディア側。 これは、どれだけ言ってもなおってません。
しかもタチのわるいことに、ある図式が存在します。
それは「いっぱい釣らなければ上手くならない」→「ほとんどの人は上手くならないと1尾で満足しない」→「全員がいっぱい釣るにはリリース」または「釣っても食べきれないからポイ(リリース)」という嘆かわしい図式です。
いつになったら「生まれて初めて釣った1尾の喜び」を再現したいだけだった、ということに気づくのか(原稿にはいつも書いてますが)。
(koikeakira)
マナーの悪い釣り人達に対して「拒絶」の反応を示してきた人達の数は多すぎるほどだと思います。なぜ自分が拒絶するのか考えることなくその声を無視してきた結果、釣り人にはマイナスのイメージがつきまとうようになり、ブラックバスの問題についてはそのイメージを政治的に利用された。油断しているからつけこまれたのだと思います。
釣り人のマナーとイメージ向上に務める人のことは本当に応援しています。マナーとイメージは両方一緒にしか向上できない思うので、気を使う作業だと思います。

釣りメディア

(koieakira)
とりあえずバス釣りに公式ルールを設けるというのはどうでしょうか。どうやらまだ無いようなので。それで大会を開いて浸透させて・・・とか。
(ばすたつ)
多分釣り人は受け入れないでしょう。作っても。
ただし、そのルールでサカナが他人より一匹でも多く、1センチでもでかいのが釣れるようになるって言うんなら別なんでしょうが。
釣り人ってそう言うモンなんですよ(書いてて悲しくなって来た)。
(小川)
海外では多くの国で釣りにライセンス制度を設けており、釣りみんなが釣り場を管理している姿を見ることが出来ます。
ぶっちゃけ日本でこのたぐいの制度を取り入れて、そのお金を、お金が欲しい側の内水面の漁業者にお金を回していれば、それほどの問題にならないのでしょうが、間に入って利益を求める政治家や暴力団の方は美味しくありません。 結局はそういった流れで当分もめていく雰囲気なんですよ。
(小川)
(マナーについて)結局個人個人が考えるべき問題になるのでしょうけど、メディア側に立つ人間がいつまでも能天気なことを述べて煽動している現状に関しては、なんとか僕の力で食い止めていきたいと思います。
(koikeakira)
釣りのメディア側にいる方がそうして真剣に考えてくれているのだと思うと、この議論も無駄ではないので、心強く思います。

狩猟本能という言葉

(koikeakira)
人間は社会的動物だから、抑制すべき欲や衝動っていっぱいあります。「本能」は免罪符じゃない。
「狩猟本能」って言い過ぎなので、別の言葉に置き換えて欲しいですね。その言い分けで自分の優位性を説き出した釣り人は、率先してマナーを破っていくようで見ちゃいられない・・・
私にとって釣りとは自然に肉を分けてもらうというステキな体験でした。釣りによって動物としての謙虚さを少し知ることができたと思います。食べるか食べないかは、どうやら釣りの本質を分つ一点ですね。
ええい、ブラックバスを釣ったら食えコンニャロ!!
(まてて)
「釣りは狩猟本能」という見方があるようですが、 本能という言葉で片付けるのは卑怯だと思います。思考停止とも言えます。 そもそも狩猟行為は食欲、生存欲から発する二次的なものであって それが「本能」であるとは思えません。 「本能だからしょうがないよね」と言う形の釣りが許されるなら 痴漢行為も本能だからしょうがないよね、と言えませんか?
(koikeakira)
「狩猟本能」って誰が考えた言葉だか知らないけれど、多分村上龍が広めちゃったのかな。そんなことはどうでもいいや。とにかくすごく手垢にまみれた言葉です。
この言葉を使う人は、自分が必要以上に、あるいは分不相応に水や魚を傷つけて過ぎていることに無意識では気付いていても、それを自分で認めたくないために、この逃げ道を愛しているように思います。
(小川)
あれは本能ではないのですか?二次的とはとても思えませんが。まあどちらにしても日本語に訳すとおおむね『本能』だと思いますが。 あと痴漢と本能の関係、そして釣りが許されざる行為になっている部分がちょっとわかりづらいのですが 「釣りは痴漢と同じく、倫理的に本来やってはいけない遊びだ」と解釈されているということでよろしいのでしょうか。
(まてて)
いや、釣りが許されざる行為だなんて思ってません。 それを言ったらわたしも魚が食えなくなります。 言いたかったのは 釣り(狩猟)欲が本能だと言えるなら 女性に触りたい欲も本能と言えちゃうよね?という これまた意地悪な論理遊びです。 狩猟”本能”が二次的か否かをはっきりさせなければ 成り立たない論理ですが・・・。
(koikeakira)
「本能だから仕方が無い」っていうのは原理主義ですね。「原理がこうだからこうする」
自らを省みず、慣性の法則に従って動くことしかしないのは理性の欠如です。そうした人に理性を語る資格はありません。そして本能を認識するのは理性です。つまり本能を語る資格も無い。

スポーツフィッシングという言葉

(koikeakira)
「スポーツフィッシング」という言葉ですが、現行の日本の釣りにスポーツだなんて言う資格は無いと思います。公式ルールを決めて、それを破る奴は失格という上ではじめて競い合うことができるのがスポーツでしょ。
スポーツとして認めて欲しいのだったら、全体的なマナーを血の努力でもって向上させるか、マナーを守れる人だけの許可制のクラブがあってもいいはずです。これは業界がどうのこうのだからという問題より、個人の責任が重いと思います。
マナーが向上したとして、それでも釣りはスポーツとしては認められにくいと思います、やっていることが殺生だから。yahoo.comのスポーツカテゴリのどこを探せどfishingはありません。殺生は競うものではないです。それを横文字にしても何も変わらない。
(sandii)
スポーツフィッシングを初めて目にしたのは開高健の釣行記。 バブル黎明の時代。 こりゃさと最新鋭の機材を持ち込み、未開の地で釣る。 そこに美麗字句とちょっぴり反省を残し、別れを告げて次の地へ。 が定例のパターンと思います。
爆釣、爆釣ってまるで赤子の手をひねるかの如く、そりゃ釣れますって。 スレてない魚に近代の最終兵器ですモン。 ただ、生前作家が中心になって銀山湖を守ろうと運動したのは、 先見の明が有った様に思います。
記憶が定かでは有りませんが環境保護より釣り人の立場に立った、 釣り人天国を作ろうみたいな趣旨だったのを憶えています。熱心なウォッチャーじゃありません。
(小川)
最新の釣り具はトラブルが減っただけで、釣果には全然関係ない気がしますよ?僕なら骨の針を使っても、鉄の針を使っても、釣果はそれほど変わりません。知識と経験があれば、道具は全くカバーできるように感じます。ぶっちゃけ糸くらいしか思い浮かびません。ハリは旧時代からあの型ですし…。

釣りにまつわる雑学

(ばすたつ)
バスは食ったらウマイんですよ。 ただし、水がキレイで魚食ってるヤツだったかな。 バスはマズイってよくいうんですけど、肉食魚がマズイのは、食ってるエサと水がマズイからなんですよね。
(小川)
猫や犬、コイなんて、日本にいなかった動物も、驚異的に日本の生き物を駆逐してその生息域を拡大しましたよね。 それが今や日本の文化にとりいれられ、日本のものとして誰も疑問にすら思いません。 バスはまだ異質ですが、バスが日本を食い尽くしても、それも仕方のないことにしか見えません。バスにはそれほどの力はありませんが、すでに水草なんて世界中が同じ世界に近い状態です。でも誰も問題にしません。それは知らないから。無知こそが罪なのに。

余談ですが釣りには、人間(特に男性)の凶暴性を和らげる効果があるようです。アメリカでは刑務所の更生などにも活用されています。 狩猟本能が間違った方向へ行くことをただしてくれるのでしょうか。 実際僕も体験したのですが、「食わない生物を殺してはいけないが、人間は殺してもいい」みたいな極端な性格をうまくなだめて、比較的安全な今の大人に育ててくれました。 釣りしていなければ二人くらい殺していると断言できます(笑)。 でもこれって体験した当人でないと説明しづらいもんなんですが。
(koikeakira)
釣りに凶暴性をやわらげる効果があるというのは非常に興味深い話です。アメリカはレジャーのルールもしっかりしていますし、そういった効果があるのは想像に難くありません。 しかし、日本式の釣りでは効果は認められないのではないかと思います。かっこ良くルールを守る、というのが理解される土壌が日本にはできていません。ハレとケの国です。レジャーは「ハレ」であり、ハレではハメを外すべきだという遺伝子の記憶があります。
(小川)
リリースした魚がどうなるかを研究していたのでご紹介します。
●リリース後の致死率
魚の身体の構造からまず見てみると、変温動物ですから魚の体温はその魚のいた水の層(深さ)の水温とほぼ同じです。 つまり、30度もあるような人間の手が触れるということはその魚にとってはヤケドと同じ。魚のヤケドは治りにくいし、伝染病にかかりやすくなりますから非常に危険な状態です。 よく釣り人の投書や抗議について読んでいると「釣った魚を蹴って水に戻す人がいた。最低だ、やさしくリリースを」などと書いてあります。 ところがこの人たちが言う「優しいリリース」というのは、魚には優しくないベタベタ触るリリース。魚からしてみれば、「活かすのなら、蹴ってでもいいから早いこと戻してくれ、さもなくば食えよ」ってなモンです。
いくつかの水産試験所や僕の参加した実験では、水で冷やしていないそのままの手で触った魚は30〜70%(実験環境によって変わりますが)もの致死率が出ます。
逆に針をくわえたままの魚を、触らずに糸を切って逃がした場合は、どの実験でも致死率はほぼ0%(他の要因で死んだ個体もいますが)でした。ちなみに実験後の調べでは、7日経過後には針は勝手に外されていました。ただし、針を飲み込んだ個体の場合は違うと思います。飲み込んだものの中には、外れておらずに苦しんでいるものもいるでしょうし、死ぬ個体も多くいるでしょう。
●魚は針の痛みを感じるか
多くの魚の口や表皮には痛みを感じる神経がないので、針が刺さって痛むことはないようです。だからこちらの引っ張る方向と反対方向へ走ったり、暴れたりするわけですが。痛みを感じると思われる部位(体内など)に針を刺すと、引っ張る方向へ走って抵抗を少なくしようとする個体が少し増えます。おそらく痛みを感じているのではないだろうかと思います。
●キズの治癒能力
次に治癒能力ですが、針が刺さった傷は、ひどい場合一度化膿します。化膿は飼育環境下と自然環境下では治癒に掛かる時間が違いますが、治りにくい飼育環境下でも水質がよければ7日〜15日、水質がわるければ12日から20日ほどかかる場合もありますが、これが原因で死ぬことはあまり考えられません。 致死率が飛躍的に上がるのは飲み込んだ場合とエラに刺さった場合です。特にエラは危険で、致死率が10〜70%以上あると推測されますが、方法が見つからずにいまだ実験の機会を得られていません。 いずれにせよ、化膿するとウイルス性の魚病にかかる機会が増えるので、危険度が少し増えると考えられます。
自分の実験に基づいた、致死率の低いリリース(誌面等で紹介しているもの)
★釣り上げた魚を触らず、針をペンチで掴み、そのままひねって水に戻す。出来る限り水から出さずに外すのが理想だが、足場などが危険な場合は空中から落とすことになる。当然水面までの落差が高いと致死率は上がる。 ただし、一見魚には乱暴な扱いをしているように見えるのと、大きすぎる魚には出来ない場合がある。
★テレビ、雑誌での美しいリリース
釣れた魚を手で押さえ、ペンチで針を外す。魚をしっかり両手で固定しながら水にいれ、自力で泳ぎ出すまで身体を固定してあげる。 水に手を浸して温度を下げきって濡らした上でなければ致死率は高いが、抗議は来ないし魚はしゃべれないので推奨されている。

以上です。
(小川)
(リリースによる)致死という問題において言えば、漁業で取れた「売り物にならない魚」は全部投棄ですから稀少魚であろうがほとんど全部、いったん氷漬けにされて100%死にます。投棄魚の重量比は海の定置網の場合、漁場で捕れる魚の10〜60%にものぼって釣りの比ではない莫大な数の単純殺戮なので、環境問題で取り上げたら大変なことになるでしょう。
僕は実習でこの投棄魚調査に参加したときに目の当たりにし、個人で付き合いのある日本の各漁協と交渉しましたが、どこも取り合ってくれませんでした(笑)。

0、論客たちのページへリンク(順不同)

小川さん
http://fly.to/howl
sinhさん
http://www.diary.ne.jp/user/23678/
まててさん
http://matete.jugem.jp/
geminiさん
http://www.studiogemini.jp/
barbaraさん
http://d.hatena.ne.jp/barbara/
hissaさん
http://d.hatena.ne.jp/hissa/
ばすたつさん、sandiiさんは特にリンク先無しです。
特に小川さんのページとsinhさんのページは釣り関連の話題が豊富です、というか、他は釣りには関係無ありません。こうして見ると、釣りの専門家、放浪詩人、ゲーム制作者、漫画家、芸大生、病人、職業不詳、建築家、芸者と、てんでデタラメな肩書きが並んでいて面白いです。