消費される癒し

癒し系グッズは消耗品がほとんどで、キャラクター物も安定して売れ続けるものはあまり無く、代謝が激しい。癒し系とは、鼻水をかんで捨てられるティッシュのようなものなのかしら。
需要創出は基本的にあざとい行為だけれど、この「癒し系」のあざとさは商業史出色でしょう。

自己イメージ

癒し系の成立にはまず「癒しが必要な私」があります。世の中の小競り合いや仕事で疲れているという「私」ですが、自分のした仕事が能率的で、その対価や社会への影響が満足できるものだったとしたら、癒しなど不必要です。しかしそんなに物事は上手く運ばれない。だって、純粋な働く喜びというのは資本主義の下でほとんどが淘汰されているのだから。

働く喜び

第何次産業にしろ、産業革命以前の仕事は創作的だったと想像します。極端な例かもしれませんが、例えばハンバーガーショップだったら、材料はどこから仕入れるのか、ハンバーガーにどんな順番でどんな具を挟むのか、お客さんが入ってきたら何と声を掛けるのか、余った材料はどうするのか、お店のレイアウトは。商いの規模が小さくて効率化・分業化が進んでいなかった以前は、皆が今よりもっともっと広い範囲を個人の責任で演出して楽しんでいただろうと思う。今や靴下の色まで指定されている。そしてそんな首から下しか使わない仕事が圧倒的に多い。人は元来創作好きだ。創意工夫の機会をとことんまで剥奪された労働が、楽しいわけはない。そんな労働で得るものは、消耗と給料それだけ。

「贈与」と「ポトラッチ」(蛇足)

今人類学で人気沸騰中のキーワード「ポトラッチ」。ご存じかもしれませんが、これは北米民族の儀式で、友人や親戚の結婚などのお祝いに一家散財するまで度を超した大判振る舞いをし、考えつく豪遊蕩尽の限りを尽くし、果ては自分の家に火をつけたり生活必需品であるボートを壊したり召し使いを殺したりするという自殺行動に出、それが贈り物だという驚くべき風習の名前です。
問題なのは、何故そんなことを繰り返さなければならないのか。やめればいいじゃん。でもやめられない。何故か。他人から受けた「贈与」の印象は強烈で、人はそれを自分の内に留めることはできない。人は他人から与えられたものを必ず他の人に与え返すという性質を持つ。それによって社会は流動循環を続けるというお話です。

負の贈与

この贈与はもらってうれしいものだけに限らず、暴力や搾取についても同じことが言えるという。(暴力を受けて育つと暴力を振るう、等)こっちは心理学の範疇になります。
労働によって消耗を「与えられた」と知覚することで、無意識にその消耗をまた他人に与えようとしてしまいかねない。また他人に消耗を与えることが循環的習慣になってくると、他からの刺激を負の贈与として受け取りやすくなる。そんな悪循環に陥っている人、確かによく見かけます。自分は絶対こうはならないぞというお手本を示してくれる人たちですね。

長くなりましたが

で、癒し系ですが、可愛らしい姿に「和む」だとか、バスタブを芳香を放つ妙な物体に埋め尽くされて「リラックスする」だとか、そういうのは口実に過ぎなくて、実際は労働によって受けた精神的・肉体的な消耗を他に与えることが今の「癒し」の実態だと思うのです。癒し系のグッズはよく見てみると、まんまるで可愛らしい何かをもみくちゃにしたり、汚したり、あるいはそういったものが泣いていたり、血を流しているようなモチーフも多く、けっこう残酷です。

まんまる

判で押したようにまんまるでかわいらしいキャラクターたちにそんな役目を与えることは、子育て中の私に言わせれば人道に悖る行為だと思う。丸いものは本能的に子供をイメージさせる。子供は本来守るべきもの。可愛がってあげたくなるものをポンポンと消費/消耗の対象にするなんて、ちょっと狂っている。自分は狂うほどに疲れていて、癒しが必要なのだと信じることができた時、人は負の贈与の悪循環に片足を突っ込んでいるのです。

>嘘ペン侯爵

エスエス。言葉責めなら御用聞き廻ります。私は文章を書く時だけは何故かいえ〜いめっちゃタナトスなんですよ。このページにはいつもupする前にヤスリで角を削って出します。
SM話、参考になれて嬉しいです。仕事中に「化粧室、化粧室、化粧室・・・」素敵すぎます。SMか鶏話、そのうち書いてくださいね。楽しみにしています。
サディズムの良書ですが、本当に見当たらないですね。マルキ・ド・サドは触りしか読んでいないので確かなことは言えませんが、数字マニア的なセックスかオヤジの小言系の短編、あとショボい手紙くらいしか書いてないように思います。澁澤が作り出したイメージが強烈なだけでしょうか。フーコーの晩年の著者はその筋の人には人気があるようですが、ゲイの素養が無いと駄目ですね。三島もゲイのサディストだ。セックス描写に拠らないものでよければ、ラディゲの「悪魔(肉体の悪魔)」はとてつもなくサディスティックだと思います。一人の女性を愛して苛め尽くすお話。あれ!?ラディゲもコクトーとゲイゲイしてたんだった。やっぱりゲイは自分のセクシャリティを見つめる機会に恵まれているのですね。

>gemini姉

自分のことを知らない人にも楽しんでもらおうとする意志のある言葉って、私は大好きなんです。愛と誠を感じます。対して自分が存在していることに何の疑問も持っていないような思考を憎みます。
SMに関して同じ意見の方がいらっしゃいましたか。ではもうちょっと突き詰めれば、女性のためのSMガイドラインができるかもしれませんね。
私も著書を網羅したわけではありませんが、数冊、いや一冊読めば団鬼六は似而非であることが解ると思います。あの人にM女を育てることはできないでしょう。本物のS男性とは、素敵なお知り合いをお持ちですね。
『よく(?)処女の女の子がレイプされるところを想像して悶えたりしますが』姉貴と呼ばせて下さい。完全なファンタジーですよね。自己投影要素も濃厚です。男性が処女を尊ぶ理由と、女性が処女を尊ぶ理由は全く違うのかもしれません。ヤリマンを蔑む理由は近いかもしれませんが。

ああああ

「考えが広がる」とか、あんまり嬉しいことを言ってもらえたり、褒めもらえるので「うわあーーっ!やめろ!違うんだあーーーっ!」って感じで悶えてしまいます。イヤだ。叩いて下さい。そっちの方が気が楽です。嘘です。ヤメテ。もっと褒めてください。ああああ。